男の背中『高山英一郎の回』

女性の活躍が目覚ましい昨今、草食系男子などの言葉も死語になり、男の肩身は狭くなっていく一方。
古き良き時代の男はいったい何処へ?

そんな時代でも性別に関わらず、「この男についていきたい!」と思わせてくれる背中を持つ、大分のリーダー像を映し出すためにスタートした本企画。

男の背中!

今回はそのアナログ感に魅力を感じ、多くのデザイナーにも再認識され、人気が再燃している活版印刷の文化普及と技術継承に尽力する株式会社 高山活版社 代表取締役社長 高山英一郎を徹底取材しました!

「周りの人を笑顔にする」と自分の使命を語るその背中は、その言葉通り物腰の柔らかさが伝わって来ました。なんだかほっこり。

そんな高山英一郎さんに社長(リーダー)として大事なこと、活版印刷とその魅力とは?高山活版社のこれまでとこれから。熊本地震で感じたことなどいろんな話を聞かせてもらいました。

高山さんを子どもの頃から知る取締役営業部長の甲斐正三さんにも高山英一郎さんについて語ってもらいました。

撮影協力:PENELOPE

 

男の背中『高山英一郎の回』

 

Yadorigi編集長 一尾(以下、一尾):創業は1910年(明治43年)ということで100年以上もの歴史を持つ株式会社高山活版社ですが高山さんが社長に就任したのはいつ頃ですか?

株式会社高山活版社 高山英一郎社長(以下、高山):2015年10月ですね。経営者になる準備を自分なりにしてきました。父が先代の社長でその年の正月に「そろそろ交代するか」と話があって。私は長男で姉が2人いまして、一番上の姉も一緒に働いてます。活版印刷のこともだいぶ任せているところで。姉と私が二人とも活版印刷を軸に動いていた時期もあったんですけど、売り上げのメインの事業は事務用印刷物・婚礼印刷物なので、社長として、しっかりと売り上げのためには、動いていかなければならないので、それでも活版の仕事はたくさんいただいているので変わらずやっているところです。

一尾:それまでは他の印刷会社で勉強されたりしたんですか?

高山:いえ、どこにも出ずに、ろくに就活もせずに。笑。大学を卒業して、本当は一度外へ出る段取りを父がしてくれていたんですけど、結局都合が合わず、まずは見習いということで自社にて仕事を始めました。イラレ使えるわけでもなく。ワードとエクセルとパワポ使えるくらいの状態で入りました。

一尾:子供の頃からこの仕事を継ぐんだろうなぁっていうのはなんとなく?

高山:そうですね。いつか高山活版社で働くんだろうなぁと、ぼんやり思っていました。うまい具合にそういうふうに育てられたのかも知れません。笑。僕が高校の時に高山活版社三代目社長である祖父が入院していた時にお見舞いに行ったんですよ。「英一郎、会社の方は調子はどうか?」って聞かれて。僕はまだ高校生だし、父も母もその場にいたんですが、えー、なんで僕に聞くんだろう?とビックリしたんですけど、「順調に行ってるよ、大丈夫だよ」と答えました。漠然としか会社のことは知らず、たまに日曜日に父に会社に連れてってもらったりしてたくらい。笑。僕が生まれた年に、現在会社のあるこの下郡に来たんですよ。それまで大分中央警察署の向かい側に木造二階建ての工場がありました。なんとなく印刷会社ってこんな匂いで、とか。紙に印刷してるんだなっていうのを漠然と見てなんとなく知ってたっていう状況ではあったんですけど。こっちに移る時は活版印刷なんて時代遅れで。活版に使う活字とか機械とかほぼほぼ廃棄してました。

一尾:これも!?

高山:もう無かったですね。そういう状況から今では活版の仕事が少しずつ増えてきていて。幸い活版の印刷機を回せるギリギリの世代の部長がいるんですけど、結局は活版のことがみんな楽しいんですよね。

一尾:原点ですもんね。

高山:はい。活版のことが動いてきて、もちろん売上は全体からすると少ないですけど、6、7年前にメールとか電話で「活版印刷できるんですよね?」という問い合わせが多くなりました。

一尾:高山“活版”社ですからね!

高山:笑。当然のごとく出来ますよねって感じで「いくらですか?」と。そういうのが増えてきて、「この間もこういう問い合わせがありましたよね?」「ああ、あったあった」っていうのがずっと続いて。当時社長である親父が「部長、機械があったら回せるんやろうが」って。その部長は前の場所にあった会社の頃は活版の機械を回してたんですけど、こっちにきてから営業部長をやってもらってて。「私もやってみないとわかりません」とか言いながらも、親父が機材屋を呼んで「活版印刷のこの機械を探してきてくれ」って。それで買い戻して。それでも会社の隅っこに置いて、まぁ名刺くらい回せる環境を作っとこうっていうことで設置しました。それから中小企業家同友会でユーンデの桜井さんというデザイナーさんと知り合って、「活版印刷できますよ」って言ったらすごく関心を持ってくれました。デザイナーの人たちにこんなにウケるんだっていうのは考えてもなかったです。そこから横の繋がりが広がりました。

デザイナーさんが自分自身の名刺を作るとか、お客さんの名刺を作るっていうのでお仕事をいただいて。活版印刷する様子をウチの時間の都合にもよりますが、凹ませ方や色の濃さとか立ち会ってもらっていいですよって言ったら、「立ち会いたいです!自分の商品が出来上がるところを見られるんなら」って。それで結構来てもらえるようになって。会社始まって以来だと思います、こんなに会社に人が来るのは。「工場見学させてください!」っていう人は団体で来てもらったり。デザイナーさんがクライアントさんと一緒に来たりとか。さらにそのお客さんが来たり。やっぱり珍しいし、古くていずれ無くなる、一回は衰退したものなので。新聞とかマスコミには何回も出してもらい、県にも補助金を出してもらったりしました。良い技術とモノが揃って。たまたま(活版の機械を回せる)部長もいてくれて。部長がいなかったらどうしようもなかったですけど。笑。そのおかげで少しずつ活版印刷の方の売り上げが大きくなり、活版は活版系の繋がりが生まれましたね。

今までウチの仕事としては事務用印刷物と呼ばれる、複写伝票、封筒と、婚礼印刷物などをずーっと昔からやってきました。これが売上の9割くらいです。でも世の中の流れで、印刷物が減っていくっていうところで、30年前くらいに結婚式の招待状の仕事を始めました。主にホテル、オアシスさんとかレンブラントさんとかレストランウェディングをされているお客様に見本帳を置かせてもらっています。僕も自分の代でもちろん会社を潰したくないですし、むしろ良くしていきたいので、何か自分の時にも婚礼物を始めた時のような、何か新しいサービスを始めないと、と思っていて。社長になる決心とかもギリギリまでできてなかったんですけど、活版印刷を通じて人と知り合う機会も増えて。僕もやってて楽しいです。

事務用印刷物は、使ってもらう人は企業であって、企業の人も全員が使うわけではないですし、本当にエンドユーザーの人と会うことが少ないので、手応えとか働きがいみたいなものがわかりづらかったんですよ。だけど活版は、使用される方と直接会えることが多いんです。もちろん普通の名刺と比べたら金額は高くはなってきますけど、それを喜んでくれるし、しっかり話ができます。そういうこともあって楽しいな!っていう気持ちでやっていて。それが今の会社の雰囲気も少しずつ良くしてて。まだ元気一杯の会社とは言えないんですけどね。

高山:これは新商品で、一筆箋です。表紙には大分県産の手漉き和紙を使い、本文紙には万年筆で綺麗に書ける紙を選びました。これは表紙と本文紙をどうやってくっつけるんか?とか、下敷きをどうするんか?とか、何枚で1冊にするのかとか。営業で考えるだけじゃ、ここまでのものは作り上げられません。普段作る伝票より手間と時間はかかるし、材料費はかかるし、その上、活版でやるのでロスが出るとその分、マイナスなんですけど、みんな最初は「うーん」と言いながらも、実は楽しく無理難題をみんなで考えて解決してくれたり、形が出来上がった時の喜びとか、なんかそこら辺が今までの事務用印刷物とは違う気持ちで取り組んだりできることに繋がってるだろうなって感じます。そういった意味ではいいキッカケになったなと実感しています。それから人を介して、アミュプラザがオープンする時に東急ハンズさんでのイベントのお話が頂いたりとか。こういう技術やノウハウがあったのは、今まで働いてくれた社員さんと社長が積み重ねてきてくれてきたものだと思い、感謝の気持ちでいっぱいです。

一尾:昔の印刷方法って活版が一番最初だったんですか?

高山:そうですね、聖書とか楽譜をたくさんの人に知ってもらうためのもので、最初はもちろん手書きだったんですけど、それを機械化して印刷で増やそうとしたのが活版という方法だったんです。日本語の活字ができたのも活版印刷機が発明されてからかなりあとです。日本語は漢字、ひらがな、カタカナがあるので、この部屋にある活字の棚の10倍くらいの活字と印刷機械に断裁機を揃えて、印刷会社と言える設備なんですよね。だから設備産業で誰でも飛びつくことができない業界ですね。この棚から文字を探し出す職人がいて、それ組む職人がいて、人も必要です。何枚も刷れば活字は磨耗していきますし。コピーみたいに100枚刷ったら、100枚全部同じ濃さっていうわけにはいかず、もちろん毎回新品の活字で刷れば同じにはなりますけど。笑。字によってエッジが丸くなってきてたり、一文字ずつ太さが微妙に違うっていうことが起きてくるのが、今は逆に面白いと評価されています。デジタルでわざとそんなことできないですもんね。

高山:あとは印字部分が凹むっていう魅力ですね。ただ、今「活版印刷っていいよね」って言われてるのはこの凹んでて擦れたりする部分なんですけど、そもそも活版印刷時代であれば、こんな印刷仕上がりでは、ど素人が刷った印刷物で、本当に上手な活版印刷は見た目も綺麗で凹んでなくて、擦れてるなんかとんでもなくて商品にならないものなんです。だから部長に「ガッツリ凹まして、擦れさせてやってくださいよ」って言ったら、「こんなん若い頃に出しよったらゴミや!」って言って言われました。笑。「本当にこれでいいんか?」って何回も確認されて。「今はこれなんですよ、活版印刷って言われてるのは」って伝えたら「ハァ~」って。でもお客さんによっては凹ませないでくださいっていう注文もありました。

また活字って言ってるんですけど、版も進化してて、今はイラレで作ったデータで一枚の亜鉛板で印刷用の凸版を作れるようになったんですよ。凸版を作って、活版印刷機で印刷するっていうのがほとんどですね。湯布院の有名な旅館のご主人は「亜鉛版ではなく、活字で印刷してください。紙も活版印刷の時代に使われていたものを」っていうことでちょっと予算はかかりましたけど、活字を組んで、当然凹ませないで擦れさせずに正しく綺麗に印刷された名刺を作らせてもらいました。

一尾:凹ませない、擦れさせない本来の活版印刷というのは相当な技術が必要ですね。技術の継承は?

高山:機械を回す方はだいぶ継承できてきました。活版印刷機は今時の機械みたいに、スイッチ押したら動き出すとかってレベルじゃなくて、感覚がもの凄く大事なんです。薄い紙一枚下に敷いただけで見た目が変わります。現在、『高山活版室』という活版印刷の技術を活かした自社ブランドを立ち上げて、「日常に活版を」っていうコンセプトで、全国へ展開しています。活版に関するブランディングはある程度進んでいますが、今はメインの事務用印刷物などのブランディングを進めるために、自社を見つめ直しています。

一尾:どんな子供でしたか?リーダー的存在だったりしましたか?

高山:もうなんか、成績は悪いし、落ち着きがないし、みたいな。結果、今はいい意味でフットワークの軽さに繋がってるのかな。笑。小さい頃からサッカーとかアイスホッケーなどの団体競技をしてきましたが、人に任せるのが苦手で、自分でやったほうがいいと思っていたので、後輩を育てるのも苦手でした。そんなこと仕事とは関係ないと思ってきましたが、それが今の課題です。

一尾:今、経営者として心がけていることは?

高山:会社として経営理念を僕の代になる前に幹部で見直して作り直したんですけど、それまでも企業ってなんなのか?とか考えたこともなかったですし、戦術と戦略がなんでいるのか?とか全然わかってなかったんですけど、いろいろ学んでいく中でウチの会社はお客さんの役に立つから、もちろんお金がもらえるわけで。企業って誰かの役に立ったりすることだなってわかったんですけど、それでもウチさえ儲かりゃなんでもいいのかってわけじゃなくて、どういうことなのかなって考えた時に、商売っていうのは世の中の不を解消することだって。不便とか不安とか不足とか。その不を解消することこそが商売でいろんな形があるんだと学びました。その言葉の意味が自分の中でしっくり、わかりやすくて。改めて事業を見直した時に、ウチの会社はそういうことをやれてきたから、今も存在ができてるんだなと。今は活版印刷の文化を継承するっていうのも恐れ多くもウチじゃなきゃできないと考えていて、そこに自信を持っていますね。しばらく活版印刷の事業のおかげでメディアでもたくさん取り上げてもらっていたんですけど、売上の割合で考えると、やはり従来の事務用印刷物と婚礼物が大きいので、その辺のバランスをちゃんと見極めるようにしていますね。

一尾:高山さんが描く高山活版社の最終的なゴールはどういうイメージですか?

高山:社長になってから少しずつイメージし始めて、だいたいの会社のビジョンが出来きました。ついつい数字のことを言いそうになるんですけど、自分・自社がどうありたいか?を考えると、高山活版社で働いてる人もその家族も、出入りしている業者さんも安心して働け、取引ができる会社でいたいです。綺麗事のようなんですけど、関わる人を笑顔にできる会社にしたいです。僕個人の高山英一郎としての生きる目的ってなんなんだろうと、30歳くらいの時に考える機会があり、「周りの人を笑顔にする」っていうのが自分の使命なのかなって。カッコよく思われたいとか、金持ちになりたいとか、そんなの生きる目的でもないんだなって。20代の頃ってそんなことばっかり考えてましたけど。笑。会社の理念も、やっぱり売上とかちゃんとしとけば笑顔で働けていけるんだろうなって。10年後にどんな事業をしているかわかりませんが、活版印刷はずっと続けていきたいですし、それを継承していくのも100年企業として役割だと思うので守っていきたいですね。

一尾:アートプラザで開催されたDesign Cafeで防災グッズも紹介していましたが?

高山:あったか銀紙という防災意識を高められる商品を開発しました。2m×1m四方のエマージェンシーブランケット(極薄素材で作られた防風・防寒用・防水のシート)に、災害が起きてから役に立つであろう情報を印刷しました。雨風しのげて、自分の出す赤外線をアルミが反射してあったかく感じるんです。またシートに同封する紙には、災害時に家族で確認しておきたい項目、災害に対する心構え、防災グッズのチェックリストを掲載しました。シートは持ち歩く防災用品として、普段使うカバンに入れておくものです。僕も社長として自分の代で何か成し遂げたいとか発展させたいっていう気持ちと、もっとわかりやすく社会貢献できる仕事がしたくて新商品として開発しました。

一尾:熊本・大分地震が起きたことは関係しているんですか?

高山:熊本地震が起きた時には、開発中でいつかできたらいいなと思っていました。けどあの地震が起きた瞬間に思ったのは、なんで作り上げていなかったんだろうって。もっと早く作ってばら撒いてたら、この地震でなんか役に立てたかもって後悔しました。テレビつけたら益城町のグランドの真ん中で被災者の方が毛布かぶって集まってたじゃないですか。あの映像を見て、これがあの場にあれば、毛布より絶対あったかいし、雨風しのげるに。なんでこんなちんたらしてたんだろうって思って、すぐに進めました。

あとシートを折る作業があるんですけど、社内では時間取りすぎるだろうと思い、困ってたんですよ。そんな時に障害者の方達が働いてる施設に知り合いに、「こういうのを折る作業ってできますか?」って聞いたら「ああ、できるできる」ってトントン拍子で話が進められました。僕には子供が2人いて、上が4歳の女の子、下が2歳の男の子なんですが、下の子がダウン症なんです。生まれながらに障害を持っています。将来自分の息子がどこまで自立できるのかわからないにしても、この子が食っていける、仕事ができる場所を会社内に作ってやりたいなって思っていました。僕は幸い経営者なので、せめてこの仕上げの仕事を障害者の方達が働いてる施設に発注することで、まぁいやらしいですけど、障害者の子供を持つ親として、施設などに繋がりを作っておけば、何かの役に立つんじゃないかなっていう下心もしっかりあったんですけど、この作業をやってもらったら、利用者の方々がすごい喜んでもらえたので、ますます頑張って売らなきゃと思いました。

一尾:最後に高山さんのリーダー論を一言で。

高山:何を伝えたいのかっていうのを、はっきりと自分の中で整理しておかないと発信できないじゃないですか。発信したい内容・自分がやりたいことの意味・自分自身の人間性などが、リーダーとしてあるべき姿のベースになるので、学び続けておかないと質の悪い、低い価値観の内容を発信してしまうことになると思います。そんなリーダーでは会社は成り立たないと思います。世の中に必要とされるのかっていうところに繋がってくると思うので、学び続けて成長しながら自分として、会社として、正しいことなのか判断し続けていくことが、僕の仕事なので、それを会社の人たちに伝えていきたいです。今までは事細かに全部言えば伝わると思ってましたが、「伝える」と「伝わる」って全然違うというのも社長になる前から気付かされることが有難いことに起きたので。

リーダー論ってなんなんですかねぇ。自分がこうありたいっていうのはあるんですけど。笑。社員のみんなそれぞれの夢を持って働いてほしいですね。夢を語るって恥ずかしいし、そんな教育、日本じゃ受けないじゃないですか。つまり、人前で自分の考えをしっかりと言える人、夢を語れる人って周りに多くはないと思います。でも夢や目標を発信することで夢や目標達成に近づけたりすることにつながると思うので、自分自身の生きる目的が「周りの人を笑顔にする」とわかった時に、今まで恥ずかしがって逃げていたことなど、挑戦しておけばよかったなって。良くも悪くも目立って、恥をかいたりすることも多いですけど、恥をかくことや失敗したことでしか学べないこともあります。以前は活版のことでメディアに出るのも恥ずかしいなって思ってたんですけど、今はオイシイナって。笑。社員さんにもそういった楽しさが少しでも伝わって、働きがいを持って仕事をしてほしいな。周りにいい影響を与えられるようなことが出来たら最高です。

イキイキと挑戦と失敗から学びながら仕事をしてる僕の姿を見て、「やってみよう!」「頑張んなきゃ」とか「仕事が面白いな」とか思ってほしいですね。

 

 

取締役営業部長の甲斐正三さんからのコメント

何事にも全力投球。体育会系の。笑。明るくていいですね。仕事もしやすいです。子どもの時から知ってるんですが営業で言えば私と同期になるんです。活版ができるようになって、活版は機械的じゃないので面白いですね。精密にやればやるほど、どんどん精度が上がっていくので。難しいですけど。難しいから面白いです。時間はかかりますが少しずつ活版の技術も教えています。私は35年やってましたから。高山社長なら大丈夫でしょう!

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