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即興 30×30 @AT HALL 直前、鈴木ユキオ インタビュー!

9月23日(金)20時より中央町AT HALLにて開催される、ダンサー鈴木ユキオと大分の若手音楽家による即興公演『即興 30×30』直前のスペシャルインタビューです!
 
踊っている姿からは想像もつかないくらいの優しく柔らかな雰囲気と口調と緩やかな笑顔。
初対面でのスカイプインタビューだったので緊張していましたが、ユキオさんが画面に映し出されるや否や緊張がほどけました。笑
 
『即興 30×30』を企画したOITA'n DANCE ORGANIZATIONの伊達なつきさんと3人で和やかムードでのインタビューでした!
 
でもその言葉一つ一つに重さと説得力がありました。
 
鋼のような身体の礎となった子ども時代、舞踏を始めたキッカケ、影響を受けた舞踏家との出会い、今回の大分公演『即興 30×30』がどのようなものになるのか?最後にYadorigi読者へのメッセージ、と盛り沢山な内容と鈴木ユキオさんの魅力たっぷりでお送りします!
 
 
それでは「即興 30×30 @AT HALL 直前、鈴木ユキオ インタビュー!」をお楽しみください!
 
 
 
Yadorigi編集長 一尾(以下、一尾)
:ダンスを始めたキッカケを教えてください。
 
鈴木ユキオ(以下、鈴木)
:23歳くらいかな。静岡県磐田市の出身で大学進学のために東京に行って、まったく今までダンスをやったことなかったんですけど、ライブハウスとか映画を観に行くのが好きで、いろんなバンド、ノイズとかパンクが好きで。ミニシアターにも通ってたんですね。その頃、お芝居を仲間内でやるようなサークル的なことをやってて、それがまたアングラな感じだったんですね。これ長くなっちゃうな。笑
 
一尾・伊達なつき【OITA'n DANCE ORGANIZATION】(以下、伊達):笑
 
鈴木:その頃はそういうのが好きでミニシアターでちょうど寺山修司特集なんかをやってて。僕はまったく知らなかったんですけど東京に行ってどんどん知るようになっていって、すごく衝撃を受けたんですね。彼らも白塗りしてたり舞踏に近かったりして。その時、僕の友達が舞踏っていうのがあるんだ、と。僕はまだその頃知らなくて。寺山修司の世界観とか若い頃ってそういうのにハマる時期があって。それで舞踏ってなんだ?と思って、友達がすごい詳しくていろいろ教えてくれて。じゃあ観に行ってみよう!と思って。若い人の舞踏を観に行って。そしたら舞踏が始まったアスベスト館という場所のワークショップのチラシが入ってたので、話で聞いてることはすごかったので観に行った瞬間にはグッと来なかったんですけど、せっかくだからワークショップに行ってみようと。でもちょっと怖いなぁと思ってて、その頃まだ電話だったので、電話をかけるのもびびって何度もやめながら。笑
 
一尾・伊達:笑
 
鈴木:行こうかな、どうしようかな、、って。で勇気出して電話して。それが2ヶ月の集中舞踏ワークショップで、いろんな先生が来ていて。笠井叡(かさい あきら)さん、大野一雄(おおの かずお)さんとか当時の舞踏家の人たちが、、
 
伊達:蒼々たるメンバー!
 
鈴木:そうですね。そういう人たちが教えてくれるということで、それがキッカケで舞踏を、、でもまだ自分が舞踏をやるとまでは思っていなくて。身体を動かしたり、その人たちの話を聞いたりとか、全然自分の世界と違う話をいっぱい聞いてるうちに、どんどんハマっていったのがスタートで。その頃はまだ舞踏がダンスって知らなくて。
 
一尾:もともとヒップホップとかジャズとかそういういわゆるダンスから舞踏に興味を持ち始めたのかなって思ってたんですけど最初から舞踏だったんですね!
 
鈴木:逆にダンスをやろうっていう考えがもともとなくて。笑。舞踏って何だ?っていうところが引っ掛かってしまったので。ダンスをやってるっていう意識はその頃は全然なくて。ダンスってやっぱりヒップホップとかテレビで観るような、バレエとか、そういうのがダンスだと思ってたので。3年くらいはダンスというものにカテゴライズされるとは思ってなかったですね。芝居があって、ダンスがあって、舞踏があるっていう。で、やっていくうちに歴史がこう枝分かれして舞踏みたいなものが生まれたんだって、だんだん知っていくようになって。自分の中で、あぁこれもダンスなんだなって。結構後になってからなので自然に始めてたっていう感じが。
 
一尾:舞踏っていうのは言葉にしたらどういうものなんですか?
 
鈴木:難しいですね。笑。やっぱり60年代に世界的にアートとか表現の世界で絵画もそうだし彫刻もそうだし、みんなたぶん新しい機運が生まれてきて。今までとは違うことをどんどん競い合って試してた時代だと思うんですよね。みんなが刺激し合って新しいことをやりだしてった時期。で、土方巽(ひじかた たつみ)さんっていう舞踏を造り出した第一人者なんですけれども。たぶんいろいろとアンテナを張ってたし、海外のことも知ってたし、そういう意味では海外でも同じ頃、今までのダンスっていう考えを否定するような、例えばモダンダンスからポストモダンダンスっていうのがアメリカで起こったり。今までの踊りっていう感覚でいったらまったく踊ってないじゃないかっていうことが起きていて。実験的なことをしだす時期だったと思うんですよね。その中で日本でしか出来ないことをやろう!っていうことを考えて、、もちろん土方さんもドイツのモダンダンス、ノイエ・ タンツを習ったりしたとこから、自分たちが日本で創れるものを。で、徐々に舞踏っていうスタイルを創り出して。最終的に分かりやすいのは白塗りをして変わった髪型だったり坊主だったり、白い彫刻のような身体で踊るっていうのがスタイルとしてはかなり広まった形で。ただそこに行くまでは実験的なこともしていて。最終的に白塗り坊主っていうのが世界的に。
 
 
 
 
一尾:そのスタイルっていうのは山海塾が創っていったものなんですか?
 
鈴木:そうですね。海外に出てった舞踏家たちが。山海塾は最たるもので舞踏を広めてくれて、逆輸入で有名になったっていう部分もあるのかもしれないですね。
 
伊達:そこで思ったんですけど、ユキオさんはKo & Edge Co.とかでは銀塗りとかしてましたけど基本的に塗らないじゃないですか?でも一応、舞踏家として踊ってるっていうのは?
 
鈴木:すごい舞踏家としてこだわってて、実は。ただ最初は白塗りも大好きだったんですね。あのスタイルから好きで。ハマっただけあって。だけどある時に、やっぱり異形じゃないですか?白塗りして、すごい変な髪型したり。ある種、あの格好して舞台に立ったら完全に空気変えれちゃうわけですよね。それで何年かやってて、できるような気になってた時にもしかして白塗りしなくて、いわゆる普通の格好で普通の髪型で本当におどれるのだろうか?みたいなこと思っちゃったんですね。その威力を借りてるだけで実は舞踏を真似する舞踏をしている、すでにある舞踏のイメージを追いかけて何となくこんな感じ、っていう舞踏をやっているんじゃないかと。舞踏を創った土方さんも今までと全然違うことを自分で創り出したわけだから、自分もやっぱり自分の舞踏というか表現、踊りを造り出さなきゃいけないんじゃないか、っていうふうに思って。それからそういう格好をしないでも舞踏を観せられるようになりたいと思ってやらないようにしたんですね。ただ舞踏の影響はすごい受けているし、舞踏からスタートしているので、いわゆるダンスはあまり踊れなかった、、今は少し勉強したので少しミックスされてる部分もあるんですけど、当時はダンスをやったことなかったので。
 
一尾:他のジャンルのダンスも勉強したりするんですね。
 
鈴木:その時期、他のダンスはどうやって身体使ってるんだろう?とか。ヒップホップとかはすごく簡単な、、カルチャーセンターくらいの。笑
 
一尾:笑
 
鈴木:いきなり行けないじゃないですか。とにかく知りたいということで。ジャズ行ってみたり。でも全然できないんですよ。まったくやったことなかったから。ただ若かったのもあって恥ずかしいとかよりも知りたいって気持ちで。バレエやってみたり、太極拳習ってみたりとか。自分の中で研究する時期に入って、20代後半くらいに。何か習ったらその影響で少しずつミックスされて模索していく時期だったのかな。そういう意味では、だんだん舞踏っていうことを言う必要もなってきたし、ここ1、2年ですけど、舞踏をあえて意識しなくてもいいのかな、っていう気持ちも。今はもう舞踏って誰からも思われてないけど、前は自分の中で「舞踏」っていうのを思い続けてやってたのもあったんですけど、だいぶそういうのからも解放されつつあるような時期ですね。
 
一尾:一番影響を受けた舞踏家はその土方さんですか?
 
鈴木:土方さん、大野一雄さんは過去の映像でも観られますし、大野一雄さんは直接お会いしてるんですけど、土方さんはお亡くなりになられてるので映像でしか知らないんですよ。そのお弟子さんからいろいろ習って。最終的に舞踏というものを使わないで作品を創ろうっていう時期があって。お笑い芸人がいたら舞台で一緒にお笑いやって、絵を描く人がいたら、じゃあ舞台で絵を描いて、自分の殻を壊したくて20人くらい舞台に上げて作品創ったりとか。変な人を集めるっていうことをしていた時期があって。そんな時期に室伏鴻さんっていう舞踏家が海外で活躍されてて。その時は僕は舞踏を絶対に使わないって思ってたんですけど。室伏鴻さんがメキシコで若い男の子を使いたいって言ってて。たまたま友達の目黒大路くんが僕のことを紹介してくれて。室伏さんは観たことはあったんですけど、直接お会いして話したことはなかったので、良い機会だなと思って。メキシコ行けるってなかなかね。笑。舞踏が好きだったっていうのももちろん根底にはあったと思うんですけども。その頃は舞踏から比べたらすごく軽い作品、、ヤンチャな若いエネルギーだけでやってたような時に、また舞踏の話が来て、しかも日本で会わずにメキシコに行って会うっていう面白いシチュエーションで。そこで一週間で作品創りしたんですね。そこで室伏さんと触れ合ううちにもう一回、舞踏の凄さとか身体に向き合うことを教わったというか。そういう意味では僕は室伏鴻さんに一番影響を受けましたね。そこから10年間一緒に毎年1回は作品に参加してたので。その付き合いが一番長くて、その影響力が一番自分を創ってくれたっていう感じがしますね。
 
 
 
 
一尾:今回の大分公演では村田千尋さんというジャズピアニストとYueさんっていうぶっ飛んだ音楽家とのコラボですが?
 
鈴木:Yueさんは2014年に「DANCE TRUCK PROJECT 2014 別府」で一回やっていて。何となくこう、、変な人だなって。笑
 
一尾:笑
 
鈴木:村田千尋さんはYouTubeでしか拝見してないんですけど、、全然タイプが違うんじゃないかと想像していて、それがすごく楽しみっていうのと。2人ともある種、エネルギッシュっていうのかな。強い感じがあるので、どういうふうに良い感じに持って行けるのか、あるいはやり込められちゃうのか。笑
 
一尾・伊達:笑
 
鈴木:その辺がすごく楽しみです。
 
一尾:Yueさんと2人でしたときはどんな感じだったんですか?
 
鈴木:その時はねぇ、短い作品でベースのコンセプトはすでに持っていたので、この曲を上手く使いながらやってくれないか?っていうことを提案したので、いわゆるガチンコでバッーンていうよりは僕が組み立てたものを上手く使ってくださいっていう形だったので。Yueさんの中では完全好きにやったわけじゃないので。それでもやっぱね、本番になるとね、、
 
一尾:アドレナリン出ちゃうから。
 
鈴木:そうそう。本番の時はバッーンとね。それがでもいいなぁと思って。
 
一尾:今回はガチンコで思う存分?
 
鈴木:そうですね。笑
 
伊達:何一つ、打ち合わせも何もしてないので。笑
 
一尾:怖いですね。笑
 
伊達:わたし的にすごい怖い。
 
鈴木・一尾:笑
 
鈴木:何してくれるんですか、伊達さん!笑
 
伊達:だってリハーサルも音合わせ30分でいいですよーって言われて。笑
 
鈴木:皆さん、プロフェッショナルなので。
 
一尾:いままでもぶっつけ本番みたいな感じでされたことはあるんですか?
 
鈴木:結構、ミュージシャンの方とそういう感じでやることは意外とあって。僕は好きな方なので。生の音楽で。
 
一尾:ライブ中はどちらがイニシアティブを握ってとかあるんですか?音楽からインスピレーションを受けて踊りが生まれたりとか。
 
鈴木:上手くいく時っていうのは、たぶんそうなんだけど、それも感じないっていう。何も考えなくても反応し合って、時々はぶつかって時々は離れて、ドライブしてる感じになる時があって。その時は本当にやってて面白いですね。タイプにもよりますけどね。人によって全然違うアプローチがあったりするので。そこで瞬間的に反応できていく時が一番ドキドキするっていうか、、考えると失敗するんだよね〜。
 
一尾・伊達:笑
 
伊達:音楽家と作品を創るっていうアプローチと即興で何が起こるか分からない状態で音楽家と対峙するっていうのはまたちょっと意識が変わりますよね。
 
鈴木:まったく変わりますね。いかにさらで立てるかっていうのと、ただイニシアティブを取ろうとするのもあまり良くなくて、本当にフラットにいる時が、力まないのが一番良いですね。
 
一尾:ダンスを観るとすごい力入ってそうなんですけどね。笑
 
鈴木:すごい力入ってる時あります。笑。良い時って意外とリラックスしてできてて。自然体でいれたらいいなぁって。すごく楽しみですね。
 
一尾:今回で「DANCE TRUCK PROJECT 2014 別府」「別府現代芸術フェスティバル2015 ”混浴温泉世界”」に続き、3年連続での来県ですが意識の差はありますか?
 
伊達:過去2回は別府市で今回は大分市というのも大きな違いの1つですよね。別府でやった時は基本的にパブリックスペースであったり、屋外であったり。誰にでも観られるような状態だったんですね。今回はAT HALLの人が入りきらないくらいの狭いスペースでやるということでその辺りも意識が違うかも。
 
鈴木:違いますね。そういう意味でも即興で対峙するというのもあって逆にすごく集中できるような気がします。作品を持ってくるっていうのであれば、良い状態で再現というかフィットさせなきゃっていう想いがあったり、オープンスペースのイベント的ものであれば、通り過ぎるお客さんをツカムって言うのかな。ある種、外に向けてのことを考えたりすることもあるんですけど。室内でミュージシャンと1対1っていう今回の状況は純粋に音と身体に向き合える良い機会になるのかなって。そういう意味では初めてのパターンですごく期待しています。
 
 
 
 
一尾:楽しみですね!話は遡りますが、ダンスをする前はどんな子どもだったんですか?
 
鈴木:一応、高校くらいまでサッカーをやってました。定番ですけど。笑。
 
一尾:そこで肉体が創られていったわけですね。
 
鈴木:でも高校ですぐ辞めちゃったんですよね。笑。運動するでもなく、、
 
一尾:何して遊んでたんですか?笑
 
鈴木:友達とツルんで、すごい自由な学校だったので。笑
 
一尾・伊達:笑
 
鈴木:結構サボってて、「じゃあ海行こう!」みたいな。男子校じゃないんですけど、ダンクラ(男子だけのクラス)があって、男ばっかで結構楽しかったですね。何するでも無しだったけど。でも大学には行こうかな、と思ってたので。その頃は浪人するのが当たり前の時代だったから一浪して、東京に行きたかったんですね。勉強がしたいというより都会に行きたい!みたいな。大学に行く目的は情けないことに持ってなくて。笑。結果的にサッカーやってたのはすごく役に立ったというか、身体動かすのが好きで足を使うっていう意味でも、ダンスをやる上では良かったなって思います。
 
一尾:最後にYadorigi読者へメッセージをお願いします!
 
鈴木:ダンスってそれぞれがこういう感じなのかなって思ったりすると思うんですけれども、たぶん僕がやってるダンスは想像できないダンスをやっているので本当にライブに観に来てほしいっていうのと、とにかく観てもらえれば身体って面白いんだな、とか。身体ってすげえぇな!とか。何だこの身体!?とかいろんな身体に対する興味。もしかしたらダンスって思わなくても全然良くて。身体っていうのはすごいんだっていうことを感じられるようなダンスを僕はしたいと思ってるので。もしダンス、あるいは身体とか音楽に興味があるんだったら、とにかくライブで観てもらえたらいいな、と思っています。期待は裏切りません!!!
 
 
 
 
鈴木ユキオ
 
「YUKIO SUZUKI Projects」代表/振付家・ダンサー。世界40都市を超える地域で活動を展開し、しなやかで繊細に、且つ空間からはみだすような強靭な身体・ダンスは、多くの観客を魅了している。
また、室伏鴻の作品出演やEGO-WRAPPIN’やplenty、スピッツなどのMV出演、内橋和久や海外ミュージシャンとの共同制作やワークショップなど、活動は多岐に渡る。
‘08年にトヨタコレオグラフィーアワードで「次代を担う振付家賞(グランプリ)」を受賞。'12年フランス・パリ市立劇場「Danse Elargie」では10組のファイナリストに選ばれた。
 
 
 
 
 
 

伊達なつき

 

2005年よりコンテンポラリーダンスの制作活動を始める。
2008年のアサヒ・アート・フェスティバル参加を機にOITA'n DANCE ORGANIZATION(O'nDO)結成。
県内のダンサーによる異ジャンル競演のダンスライブ「DIVE to DANCE!」を定期的に行いつつ、別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」でのダンスプログラム、monochrome circus『ダンサーを探せ!』の制作を担当。
現在は国内外で活躍するダンサーによる公演やWSの主催・サポートなどを不定期で行う傍ら、個人的にダンス以外での制作サポートなども行っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

− 即興 30×30 −
 
 
【開催日】
2016.09.23 fri
 
【時間】
20:00 -
 
【会場】
AT HALL
〒870-0035 大分市中央町2-6-4 エムライフシティビル3F
tel : 097-535-2567            HP : http://www.athall.com
 
【料金】
一般前売¥2,000/当日¥2,500/ペア割(前売のみ)¥3,000
※いずれも別途1drink
 
【予約・お問い合わせ】
OITA'n DANCE ORGANIZATION(O'nDO)
tel:090-9507-0195