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カモシカと青空 第十五話「中世巡礼物語」カテリーナ古楽器研究所 by カモシカ書店

2014年5月、大分市中央町に誕生したカモシカ書店。
古本を中心としながら新刊も取り扱い、カフェとしても気軽に利用できる癒しの場。
手作りケーキやこだわりのコーヒー、水曜日のネコというフルーティースパイシーな珍しいビールもお楽しみ頂けます。
定期的に本だけに留まらない知的好奇心を刺激するイベントを開催。

そんなカモシカ書店の店主、岩尾晋作くんのコラム第十四話です。
オムニバス的に一冊の本を紹介していく人生の短編集。
どうぞ、お楽しみください!

岩尾晋作くんへのインタビュー記事はこちら。
http://yadorigi.jp/magazine/157

第十五話「中世巡礼物語」カテリーナ古楽器研究所

都内で12年暮らし、大分に帰ってきてから3年半が経とうとしている。
久々に暮らす大分で、古本屋をする構想を話す機会があるたびに、あたたかく聞いてくれる人たちに感謝したものだ。
大分で新しく生まれた印象的な出会いはいくつもあるが、最近つとに思い出すのは大分に暮らすある有名な画家の言葉である。

最近では特に有名な彼だが、3年半前もすでに自分の仕事を確立しており、そこからくる自信と、持ち前の感性と知性に支えられた彼の言動に私は惹きつけられた。
魅力的な男には、聞いてもらいたくなる。夢と、野心を。
当時から私は大分の未来のビジョンや自分の希望を明確に描いており、国内、海外の都市と比して大分の魅力を、そのポテンシェルを心底信じている。
とくに帰りたての私には、風景や風土、食べ物や習慣に至るまで大分の全てに新たに感動し、興奮する毎日を送っていた。
同時に、商店街の疲弊した様、その対策として打ち出す方向への違和感、現状の都市としての厚みのなさ、学生の圧倒的な不足、そういうことに目を向け、正確に絶望することも試み始めていた。

とにかく何もかも新しい視点で希望をもって生きようとしていたのだが、画家は嬉しそうに私の話を聞いて
「久々にこういうことを言う人にあったなあ」
と言ってくれた。さらに
「大分にいるということはもう少し諦めと夢が入り混じった感じなんだよな」
と付け足した。
しっかり自分の仕事を表現できている人が言うので、私はそれをネガティブな意味に受け取るようなことはなく、おそらくそうなのだろうなと非常にすんなりと、画家の意図を正確に受け入れることができたと思う。

さて、この出会いから3年が過ぎたのだ。
無意識にも画家の言っていたことが根を下ろしてきたのかもしれないが、まさに予言のように最近は諦めと夢のほろ苦ブレンドなのである。
先月は福岡と熊本に遊びと市場調査に行ったのだが、福岡も熊本も今さらながらすごい都市だ。
福岡は何といっても、人口が多い。そして、街ゆく人々が若い。平日の竹町の高齢化っぷりを見ていると隔世の感があるし、まさに次元が違う。
人が多く、若い、ということを基底にして、もっとも重要なのは若者が夢や希望や野心を持って暮らせる都市であるということだろう。
もちろん最終的に各自の分野で社会的に、経済的に、満足のいく結果を出せるかどうかは別の問題だが少なくとも、努力をしに、学びに、遊びでさえ学ぶように遊びに、住めるというのは素敵すぎる都市だ。

大学の存在は大きい。当たり前だがそれは大学が単純に権威だから、ではない。
私の視線では、大学は努力するところであるからだ。努力して学び、努力して遊び、何かに強烈に憧れ、異物と他者に揉まれ、傷ついていく。そういう人間としての成長のプロセスにやはり高等教育とそのための生活期間はうってつけだと思う。
もちろん、大学とは全く関係なくそういうプロセスを越える人間はたくさんいる。とても魅力的でうらやましい。

だがやはり大学に行った人に、努力して行った人にそういう傾向が多いように私には思える。

この話は誤解を招きそうだが長くなるのでここで止める。
これだけは言っておくと私は受験勉強は全くしていないしそういう勉強は大嫌いだ。そして第一志望の大学は落ちた。
受験勉強しか勉強を知らない人は苦手だし、大学なんてほんとはどうでもいい。
だが向上心を持って、何かに焦がれるほど憧れること。期間を定め目標を持つこと。若いうちは憧れの対象が悪ですら構わない。
とにかく変化しようとすること。その道の先人を知ること。先人を通して人間の偉大さを知ること。代わりに自分の卑小さを知ること。
そういうことの全部が紡ぎあってその人の誇りを醸成するということ。私が言いたいのはそれだけのことだ。
熊本について書く紙幅がなくなったが、要するに、福岡熊本は大分よりも間違いなく誇りを醸成しやすい環境で、嫉妬するということだ。

以上前置きが長くなったが私が言いたいのは誇りについてである。
「我々大分県民は誇りを持たなければならない」
「よし、そうしよう」
こういうやりとりはすごくおかしい。
たったひとりでも、逆らってでも、抗ってでも、持とうとすること。それが誇りの本質だろう。
実はそれは都市や街や集落においても全く同じ構造である。
県、市、町、コミュニティ。「我々」と括れるものから始めようとするムーブメントのほとんど全てに私は違和感がある。
むしろ、たったひとりの「私」から始めるすべてのムーブメントを愛おしく思う。
文学も、芸術も、経営も、そういうことだ。
「我々」の行為の目的格は実は存在しないのではないだろうか。
「私」の行為の目的格はいつも「あなた」だ。
「我々」ではなく「私」が「あなた」に語りかけよう。
「街」ではなく「店」を作ろう。
その集合体がいつか「我々」となる。そういう都市に私は住みたい。
そのほうが愛があると思うのは私だけではないだろう。

前置きを続けてしまった。本題に移ろう。
いろんなわだかまりや焦り、無力感、自分に対する不満、大分に感じる絶望。
その全てを飲み込んでくれたのが杵築市山香「カテリーナ古楽器研究所」だった。
30年以上、中世古楽器の復元再生演奏を試みることはほとんど困難しかないだろう。
顧客は決して多くはないだろうし、制作工程においても近代化の利便さによる様々な誘惑があるはずだ。
将来古楽器の市場規模が拡大していくという希望もほとんど持ちえない。
才覚と美意識と仕事が同居する不思議な森で、「精霊のような暮らし」と比喩されることもあるようだが、私にはとても人間的に思えた。
大分の田舎で、深い世界観に裏打ちされた造形を続ける執念や信心。
私はまだまだ覚悟が中途半端でわがままを言っているなぁ、と恥じ入ることすらできずにただただ「カテリーナの森」の空気を吸っていた。

静かな者は健やかに行く。
健やかな者は遠く行く。

大学時代につんと心が打たれた言葉を思い出した。
人生は、仕事は、巡礼なのだ。
「中世巡礼物語」はいつも私の心に高みを思い出させてくれる。
それが、大分で生まれているというのが、人生の、巡礼の、味わいどころなのね。

                 文:岩尾晋作

「中世巡礼物語」

カテリーナ古楽器研究所

3,000円(税込)

~ カモシカ書店 ~

 古本 新刊 喫茶

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