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世界で活躍する書道家・アーティスト 杉田廣貴インタビュー!

2017年11月25日(土)から別府のギャラリー別賓にて展覧会「つながり」を開催中の書道家でありアーティストの杉田廣貴くんにインタビューしました!

書道家を目指したキッカケ、世界躍進へ繋がった出会い、世界中を魅了する線はどう生まれるのか?今後の夢など、いろいろ聞いてきました!

ギャラリー別賓での展覧会は好評につき年末まで会期延長になりました。

ぜひ一度、ご覧になってください!

世界で活躍する書道家・アーティスト 杉田廣貴インタビュー!

Yadorigi編集長 一尾(以下、一尾)
:6歳からは剣道をしていたようですが、和の精神というか、そういった「道」に興味を持ったのは?
 
杉田廣貴(以下、杉田)
:この仕事を始めた後からで。神社に8ヶ月間滞在したことがあって、その時から剣道で学んだことを意識し始めました。それまではただ剣道をやってる人を見てカッコいいと思って始めたんだけど、「書」を通して自分は「道」でやってるんだと気付く機会がありました。だからただ書道をやってる訳じゃなくて、剣道の流れの中で「道」を学ぶために「書」があって神社に行くことで神道の「道」を学んで、日本の和の「道」っていうものを探求したくて興味を持ち始めたのは22、3歳くらいだと思います。
 
一尾:大学を卒業したくらいだと思うんですが、工学科を卒業したのに書道に惹かれていったのは何がキッカケだったんですか?
 
杉田:出会いと死別がキッカケで。19歳の時に一週間で2人を自殺で亡くしてて。親友のお父さんとバイト先の店長さん。その親友とは前日の朝の4時まで遊んでて、で10時くらいにメールが来て「お父さんが死んだ」って。その夜に通夜に行って泣き崩れる友人を見てすごいショックで。そうならない奴だったから。そうして落ち込んでたら、1週間後にバイト先の先輩が亡くなって。そこから「生き方」を変え始めたんです。ちょうど悩んでました。バーとうどん屋さんを掛け持ちしてて、そこで自分が何もできなくて歯痒い思いをしてました。何もできねぇ奴だなと思ってた時に、死を目の前にして、2人分俺はしっかり生きていこうって決めた。自分を変えるために生きていく中で、想いを伝えるのが苦手で、文字を書くことも苦手だったので、その自分を変えたいって思った時がありました。1年半くらい経った時にたまたま路上で言葉を書いてる人に出会って、「面白そう!」って思った。自分の文字で食べていくのを「すげえなぁ」って感じた。「どんな生き方してるんやろう?」と、2人の筆文字作家に付き回って一緒に遊んでたんです。そして、言葉をもらった女の子が泣いてる姿を見て「うわ、すげえなぁ」って思ったのと同時に、この仕事だったら自殺で僕は2人失っちゃったけど、もしかしたら死のうと思ってる人を救えるんじゃないかなぁって。それで文字を書き始めたのが最初ですかね。
 
一尾:その時から書くことを生業しようと決めていたんですか?
 
杉田:就職はしないって決めてたから。書き始めたのは大学4年生でやるかやらないか悩んでて。留年を入れての4年の9月くらいに居ても立っても居られなくなって、押し出されたように路上で書き始めましたね。
 
一尾:親からの反対は?
 
杉田:もちろんあったし、周りは就職しないとダメっていう、、親だけに限らずいろんなところから反対はあったけども、19歳の時の経験があったから、最終的に「ダメだよ」とは言いづらかったんだと思います。自分もわがままだったから、どうにかこれで食べられる状況をまず作ろうっていうことで学生時代から路上で書き始めて。そんな食べられる状況じゃなかったけども、その日暮らしは全然できるし、バイトで稼ぐよりは収入があって。鹿児島の天文館でずっと書いてましたね。「0円~気持ちでください」っていう感じだったけど割とみんなお金をくれて、そんなに苦労してるっていう感じはなくて。しっかり頑張ればちゃんと食べられるようになるんじゃないかなって感じたとこもありました。保証はないけどこれでしっかり結果を出していこうみたいな感じでスタートしたんです。自分の書く言葉で喜んでくれるのが何より一番嬉しかった。2日目に「亡くなった人からの思いを残しておきたい」って依頼をしてくれた人がいて、なんかもう2日目から「俺、プロなんだな」って思わされました。1年3ヶ月くらい路上で書いてましたね。
 
 
 
 
一尾:その時はもう誰にも付かず?
 
杉田:そうですね。2人とも特徴の違う字で、見て覚えたのと、とにかく街中にある字を見て覚えて、見て覚えて。もがきながらやっていた時に「個展をしないか?」って言われて。2007年3月に初めての個展を長崎でするんだけど、そこで自分で賭けをして、「もし長崎で成功しなかったら辞めよう」って決めました。卒業してまだ1年だったし辞められるなって。笑。それで3月9日、自分の誕生日に個展をスタートした。前年の11月に長崎入りして路上で書いてた時にTV局がついて特集を受けたら、そこから絶え間なくお客さんがついてくようになって。その個展も蓋を開けてみたら大盛況。結局、延長で1週間の予定が2週間になって。そこで成功したから「あ、続けられんだな」って思ったんです。
 
一尾:その声をかけて来た人は鹿児島で会った長崎の人?
 
杉田:いや、卒業してホームレスみたいな状態で。
 
一尾:笑
 
杉田:転々としながらその日暮らしで、道端で寝たりとか、そこで友達になった人の家に泊めさせてもらったりとか。自由気ままに東京の表参道くらいまでは行ってたりしてました、ヒッピーみたいな。笑
 
一尾:何度か見たかもしれない。笑
 
杉田:誰かしら見てるはず。笑。結構いろんなとこに座ってたから。で、そんなことをしながら長崎にいた時に声をかけてくれて。「君、良い線を書くね」って言われて。あと「一人一人に対してちゃんと気持ちを込めてるね」って言われて、すっげぇ嬉しくて。それで調子に乗って個展をやらせてもらった。笑。それが良かったんすけどね。路上での自分の特集が九州全県に流れて、それを親も観てたり、みんな観てたり反響がすごい良くって、個展の時にはTV局もたくさん来てくれて、3ヶ月くらいバンバンTVやラジオに出てた。でも1年ちょっとしかやってないから実力なんてある訳なくて、本当にクソみたいな字を書いてた。笑。今みたいに字を書くというよりも詩を書いて飾るみたいな感じで。実力もないのにいっぱい人が来て、そういう意味では成功はしたけど、ギャラリーの方から「”正統派”であろうね」って言われた。そこは現代アートにギャラリーで、「アーティストとして正統派に実力や実績をつけてから、メディアじゃない?」って言われてから10年はTVに出ないって決めました。それから詩を書く人でなく、将来はプロの書道家というジャンルを意識し始めました。また、長崎のギャラリーでやったことで自分はアーティストになりたいって思いが強くなった。
 
 
 
 
一尾:それがきっかけで職業としてプロの書道家としてやっていこうと思ったんだね。
 
杉田:成功したことで続けていいんだと思えました。正統派であろうねって言われたことで、見てくれてる人がいるし、実力がないってことは自分でもわかってたから、実力をしっかりつけてからメディアにも出ようと。顔をずっと出してなかったのはイケメンだから出してなかった訳じゃなくて。笑
 
一尾:笑
 
杉田:作品が認められることが重要なので、まず作品が認められない限りは顔出しはしないっていう自分との約束があって。やっと世界中でオファーが来るようになって来たから、そろそろ解禁してもいいのかなっていうので出すようになりました。
 
一尾:なるほど。まぁイケメンっていうのは認めると。笑
 
 
 
 
杉田:イケメンになったっていうだけで、もともと全然イケメンじゃなかったし。生き方で顔が変わったんだと感じてます。笑
 
一尾:影響を受けた人物に書道家、アーティスト、とんねるずなどたくさんいますがそれらに共通するものはありますか?
 
杉田:画家にしろ書道家にしろ、みんなそれに人生を賭けてる感がある。それしかできないのかもしれないけど、それができることで卓越した何かを持ってる。その他の人が賭けてない訳じゃなくって、たまたまその人たちが自分の好きなジャンルで、物凄い人生を賭けて作ってるんだなっていうのが感じられる。笑いを取るにしても何にしても。それが共通するものなのかなと。自分はそういうところに惹かれましたね。
 
一尾:自分が書く文字に関して一番影響を受けてるなって思う人はいますか?
 
杉田:書道家であったら柿沼康二さん。風林火山っていう大河ドラマの題字を書いた方で。パフォーマンスも研究して見てたかな。最初にパフォーマンスの依頼が来た時に柿沼さんのパフォーマンスをよく見てた気がします。他の書道家さんも見て常に影響は受けて悔しがりながら、どの年代の人の作品を見ても嫉妬しますね。自分の中にこういう表現はないのか?っていう、真似をするというよりかは自分なりにこれを表現するにはどうするのか?をリスペクトの感覚で自分の頭で考えるかな。
 
 
 
 
一尾:「言葉ギフト」プロジェクトについて教えてください。
 
杉田:最初は「言葉を書きます」みたいな感じでやってました。1年くらいした時には言葉って贈るものなんだなって感じた事をキッカケに、一人一人に言葉をどう伝えたら伝わるのかを研究しました。路上ではいろんな人が来るから、ずっと会う人に伝えるんじゃなくて、初対面の全然知らない職種もわからない人に伝える訳だから、ほんと毎日どう伝えたらいいのかっていう研究でした。それをやっていくうちに、言葉を贈るように伝えたら、みんなにグッとくるって言われて。伝えようとすると伝わったかどうかを知りたいし、見返りを求めようとする。でもギフトって贈っただけで気持ちがいいものだし、見返りって求めない心がどこかにあるじゃないですか?「ありがとう」にしても伝えようとするんじゃなくて「ギフトのように贈る」っていうのがそこで生まれて。言葉を贈るっていうコンセプトから「言葉ギフト」プロジェクトに至りました。
 
一尾:その時って、依頼者がいてこういう言葉を贈りたい人がいるからっていうので書いてた?
 
杉田:その時は自分からその人に向けて書いてた。
 
一尾:その人から感じて贈りたい言葉を?
 
杉田:そう。最初は相田みつをとか見て、事前に予習して。笑。「よし、暗記した、暗記した」って状態から、それっぽい事を書いたり、相手の目を見たりしてた。そうして1年くらいした時に今日は名前だけを見て書いいてみようって思った日があって、自分の主観で「この人怖いな」と思ったらその先入観で伝えたい言葉が変わっちゃうんじゃないかって感じた事があったので、その日は先入観なしに名前だけ見てトンって出てきた言葉だけを書いた。そうしたら10人中10人泣いて。「これどういう事だ?」って。自分の主観が邪魔してたというか嘘だっていうことがわかった。間違ってるって。それから名前だけ見て最初は自分から言葉を贈りますってやってく内に、自分からの言葉もすごい感動してくれるんだけど、ある時、お母さんに贈るとか、子供の夢を書いて贈りたいとか、もうすぐ亡くなる息子がいて「家族みんなずっと一緒だよ」っていうのを名前と一緒に残しておきたいとか、号泣するようなドラマばっかり出会って考え方がまた変わり始めた。俺も泣きながら書くし、渡す人も泣くし、渡された人も泣くっていうすごいトライアングルがあって。お母さんが「この言葉のように生きてこれた。幸せだった。」と言って1週間後に亡くなったとか、葬儀中にお礼の連絡が来たりとか、息子の夢が叶ったとか、お客様から沢山の御礼が届き始めたんですよね。もう泣く泣く。笑。
 
 
 
 
杉田:そういう感動の声のおかげで、自分が贈るよりも、お客様が贈りたい人に贈るほうが物凄い威力が生まれるんじゃないかなと思った。そっちに専念したいけど、みんな自分が好きで欲しがりだから、なかなかそういう機会が増えない。笑。そんな事をしたいと言ってたら、あるお客様が贈った言葉ギフトがキッカケで、絶縁して10年くらい口も聞いてなかったっていう親子が3ヶ月後に「今、一緒に暮らしてます」って連絡がきて「マジか!」って僕が感動したんですよね。「感謝の贈り物」っていうテーマで贈ったんだけど、今まですれ違ってた親子が、卒業証書をもらったみたいと母が喜んでくれたと、そっから仲良くなったみたいで。その経験が決意をくれた。
 
 
 
 
杉田:自分が贈りますってカッコつけてたけど実際はみんなの言葉を代弁して書くだけでいいんだなって。そういったコミュニケーションのツールとしても使ってもらえて、返って来た言葉があったから、自分の自信になって蓄えになった。言葉で夢を叶えた子がいっぱいいたから、俺も自分の夢を叶えてみたいなって思ったのもこの時期。それまでは言葉を贈ることが自分の使命だと思ってたんだけど、自分の夢ってなんだろう?って思ったら世界中に行きたいとか世界で活躍するアーティストになりたいっていうのがあって、それを言葉で叶えるっていう事を2013年くらいからやり始めました。
 
一尾:そこからニューヨークで個展をしたり、大書揮毫(書道パフォーマンス)をしたりと躍進していく訳ですね。
 
杉田:そう。今回展覧会をさせてもらうギャラリー別賓のオーナーがTBSの記者をしてて、TBSのニューヨーク支局に5年居たっていう話を聞いてから、すげぇ行きたくなってきて。笑。「俺ちょっと来年ニューヨークに住むかも。行きます。行きます。」ってそこで言ったのをキッカケに。300人くらいに言ってたら大分のthe bridgeで当時マネージャーをしてた方から「ニューヨークでギャラリーをオープンする大分出身の人と出会ったんたけど、杉田くんのこと紹介しといたから作品集送って」って言われて。それでニューヨークに来ないか?ってオファーを戴いた。来年行くって言っときながら年内にいけたっていう奇跡。ここもそうだし、たまたまのご縁でニューヨークに繋がったっていう感じです。本当に人との出会いのおかげの躍進です。
 
 
 
 
 
 
 
 
一尾:杉田くんが書く時に一番大切にしていることは?
 
杉田:言葉にできないですね。無心っていう言葉でも足りないんですけど、、神社で奉納とかお籠りをしてて、書道を書く時に特になんですけど、波を一定にする感覚って言えばいいのかな。それをすごい重要視してる。水面が目に見える感覚で、スッ、となった状態で書く。言葉にしづらいんですけど。笑。パフォーマンスとか大きな奉納をする時には、オリャッ、って起伏の激しい波を作るし、でも割と「書」を書く時とか、作品を創る時は書く前に、スッ、と無ではないけど、意識も雑念も全然あるんだけど、その瞬間だけ記憶をフラットにする事を重要視してて。「言葉ギフト」と似たように主観を入れるとすごいダサいものになるから、自分のスタイルっていうのはなるべく主観を入れない書き方を大切にしてる。じゃないと俗っぽくなっちゃう。だからなるべく考えない。流れるままに出来上がったものが、答え。自分が創ってるようで自分が創ってない。乗っ取られてるっていう訳ではないんだけど。笑
 
 
 
 
一尾:書いてる時にここをこうハネさせたらカッコいいかも!とか考えない?
 
杉田:ハネさせたい!とか、LOVEをここに書きたい!とか思うとダッサくなってしまう。笑。自分で納得いくものはできないですね。ただ書き殴るだけの方が得意。「書」は一瞬の勝負だから考える暇がない。ここをハネたらじゃなくて、体の動きが勝手にハネを創るというか。自然の流れをなるべく重要視してます。
 
一尾:例えば「水」や「火」っていう文字を書く時、無意識の中にも水道の水なのか、雄大な川を流れる水なのか、焚き火なのか、地獄の業火なのかで表現が変わってくると思うんですけど。
 
杉田:「水」という字を書くにも「水」も「火」もイメージすることはあるし、「水」を書くってなった時に「水」の形の線が、スッ、と見える瞬間があって。それをなぞろうと書くとダサくなるんだけど、その一点、ここだ!っていう点が見えた瞬間にポンって筆を置いたら、そこからは体の流れに任せる。それで書けない時も確かにあるんだけど。いい線の入り口だけ見つけて、あとはもう体のままに書くっていう。書こうとしてるというより生み出してるっていう感覚。
 
 
 
 
一尾:体に書かされてる?
 
杉田:書かされてるわけでもなくて。スピリチュアルな人は空海さんが入ってるかもよ?みたいな感じで言うけど。笑。割と無意識なようでちゃんと意識はあるから。何よりも自然が美しいと思ってるから。書道って本当は文字を見て、楷書の通りに書きましょうっていう世界なんだけど、自分の「道」の上ではそれが美しいって感覚よりも、木とか風とか波とか偶然できた線の流れが美しいと感じるから、自分は考えないっていう所に至ったんだと思います。体が一番自然を知ってるから体に任せようっていう。筋肉がこう流れるならこう流そう次はこっちだ、って。それで変な字になろうが自然と一体になって書いてるから自然な作品になってる。結果、恥ずかしい「書」もある。笑
 
一尾:今回の展覧会のテーマは「つながり」ということですが、杉田くんにとって「つながり」とはどういった意味を持つのですか?
 
杉田:人とのつながりももちろんあるんだけど、今回の展示会は自然とのつながりだったりとか、太陽とのつながりだったりとか、夢とか無意識とのつながりだったり、静と動、西洋と東洋とのつながりを意識して創ってて。一つの作品の中に必ず何かとのつながりがある。自分ともつながりがあって、お客さんともつながりがあって、自然と自分たちはつながってんだな、とか。そういうつながりを感じてもらいたいていう想いで「つながり」にしました。
 
 
 
 
一尾:今後の夢はなんですか?
 
杉田:それがやっと最近決まったんですよ。海外に行くまでは世界で活躍するアーティストになりたい、と思ってて。本当に活躍できるようになって。つい最近、杉田廣貴は何になりたいのか?って言われた時に答えられなかった。これがまだ答えかわからないけど、世界的スーパースターになろうと。スターレベルのアーティストになろうって。ただ活躍してるじゃなくて。世界中周ってもファンがしっかりいて作品に対しての評価をしてもらえる、そういったスター選手になろうって思ってて。なんでスターなのかと言うと、スターになることで影響力のπ(ぱい)はデカくなる。自分の生き方が多くの人に影響を与えることになる事をスターと呼ぶ感じです。自分には、難民の子たちとか孤児院の子たちともアートしたいし、日本海外に国境を分けず、文化やアートを通して心でつながっていきたいって目標がずっと前からあるんです。それでスターという位置に重要性を感じるようになった。1人で叶えても面白くない、アーティストとして応援してくれる皆と夢を叶えたいなって思ったんです。きっとこの生き方が、誰かの「よっしゃ、生きるぞ!」に変わる気がしてます。アートで心を繋ぐ事については、やっぱり文字を書く仕事だから、文字を書く楽しみっていうのは日本でももちろんできるけど、アフリカならアフリカの文字でみんなで書いてみるとか考えてます。その土地の文字を書いてみようぜっていう。そうしたら識字率がもしかしたら上がるかもしれない。その文字を覚えようとする楽しみが生まれるかもしれないから、それも書道だから出来るんじゃないかって思ってます。ここについては、まだ模索中ですが。
 
 
 
 
一尾:世界には喋れても読み書きできない子供がたくさんいるからね。
 
杉田:そう。それが教育の原点だし、争ったり奪い合いを教育でこれは分け合うものなんだって学ぶ事ができると思うんです。イラクとかシリアでは子供たちでさえ奪い合うのが当たり前で、そこにアートってもっと関われるんじゃないかと思っています。そういうとこに関われるアーティストになりたい。そして杉田の姿を見て、誰かが「自分はこうなりたい!」っていう夢を見つけてくれたら最高だなと思う。杉田に刺激を受けたから体操選手になります!とかなんでもいい。生きるっていうものにつながればいいなって。それは路上でやってる時から全く変わらない。今までは生きるっていうのを言葉で伝えてたけど、自分の生き方が誰かの影響を与えるためにもスーパースターにならなきゃダメだなって。笑
 
一尾:スーパースター。分かりやすくていいですね。まぁ今でも充分刺激を受けてる中年オヤジがここにいますけど。笑
 
杉田:笑
 
一尾:最後に杉田くんにとって「書道」とは?
 
杉田:…「生き方」ですかね。書道をやってきて、それが生き方になった。言葉を書いて自分が育ったし、書道を選んだことで今の状況が生まれてる。伝統をつないでいこうっていう訳じゃなくて、ただ単に自分の生きる手段だったり、糧だったりするんですけどね。でも、これが「自分の生き方」だってこと。誰に何を言われようとも、自分の生き方はこれです!っていう感覚です。
 
 
 
 
 
 
 

杉田廣貴(すぎたこうき)

Artist、書道家

1983年3月生、宮崎市出身。福岡・太宰府市が制作拠点。

作品発表の拠点はニューヨークを始め欧米で、近年はアジアにも赴く。「和」の精神性探求をベースに、書道や芸術に昇華する現代アーティスト。神社仏閣にてお籠り制作や奉納を行なうなど、「和」の探求も欠かさない。

米国美術館に3作品が収蔵。作品はヒルトンやカルティエ、ヴァンクリーフ・アーペル他、国内外で人気。題字、ロゴ制作を始めとしたデザイン書道や、事務所や店内装飾の作品も制作している。

 

 

ー 杉田廣貴展「つながり」ー

【開催日】
2017.11.25 sat - 2017.12.03 sun
 
【時間】
13:00 - 17:00
 
【会場】
ギャラリー別賓
大分県別府市原町7-25
 
【料金】
無料
 
【お問い合わせ】
0977-24-7461(ギャラリー別賓)