カモシカと青空 第五話「夜の果てへの旅」ルイ=フェルディナン =セリーヌ by カモシカ書店

2014年5月、大分市中央町に誕生したカモシカ書店
古本を中心としながら新刊も取り扱い、カフェとしても気軽に利用できる癒しの場。
手作りケーキやこだわりのコーヒー、水曜日のネコというフルーティースパイシーな珍しいビールもお楽しみ頂けます。
定期的に本だけに留まらない知的好奇心を刺激するイベントを開催。

そんなカモシカ書店の店主、岩尾晋作くんのコラム第五話です。
オムニバス的に一冊の本を紹介していく人生の短編集。
どうぞ、お楽しみください!

岩尾晋作くんへのインタビュー記事はこちら。

なお、紹介されている本は実際にカモシカ書店で購入することができます。
※すでに売切れや非売品の場合もありますので、ご来店前にカモシカ書店へお問い合わせください。

 

第五話「夜の果てへの旅」ルイ=フェルディナン=セリーヌ

 

ドキュメンタリー映画が好きだ。

とりわけ愛してやまないのがアッバス=キアロスタミ監督の作品なのだが、(まあ正確に言うとドキュメンタリーではない、虚構と現実が半々ぐらいの不思議な作品たちだ。)
彼の映画では、普通の庶民たちが普通に暮らしながら愛や生に揺られ、人生を漂っていく。
登場人物たちの、厚みのある笑顔に、人生を肯定されているように思えるからだ。

つい最近、7年ぶりほどご無沙汰していた友人と再会した。
美術館で偶然見かけて、先に展示場を出た私は友人が出てくるのを出口で待ち伏せしていた。
彼とは7年ほど音信不通で、見かけたときは驚いた。
不意に、私は避けられるのではないか、と思い、どうしても彼と話したかった私は待ち伏せという方法をとらざるをえなかった。
それから現れた彼と、実に長い時間の空白を埋めることになるのだが、何のことはない、もともと強く信頼していた友人である。
コップに滔々と注がれる水のように間隙なく、長い時間の空白は埋められていくのであった。
7年間は友人にとって熾烈な戦いとそこで負った傷と、そして再生の道中であるようだった。
私と違って彼は勤勉で、まじめで、人の信頼を強く得る性質で、必然周りの人からの期待とプレッシャーを一身に背負ってきていた。
大学の一流研究室で精を出す学生時代の彼を見ながら私は、彼は大学教授になるのだろうと確信していた。
そして応援もしていた。

いい大学、いい仕事、いい収入、というのがどういうことかまったく私にはわからないのだが、まあそういう世界もあるものだよな、程度の認識であった。
しかし内実を聞くと、おぞましいほどの魑魅魍魎蠢く過酷な世界。
才覚と努力の性質を併せ持つ猛者たちが限られたポストをめぐりお互いに当てこすり合い、命を削り、ときに蹴落とし合うのだった。

いい大学、いい仕事、いい収入、てある意味楽な世界だよな、なんて認識が私にはなくはなかった のだが、絶対にそんなことはないのだと思い知った。
こんなしんどい世界もそうそうなさそうだ。意識を改めざるをえなかった。

そんな遠い世界の話を聞きながら私は、強い違和感を感じずにいられなかった。
人間には、たぶん、上下がある。
私にはそう思える。そう思わないと人は頑張れないからだ。
何かを目指す、というのはそこに到達しない自分を常に否定するという一面がある。
現状の否定をどうしても必要とするのだ。
そのときどうしても他人を巻き込んでしまうことがある。
こういう人間になりたい、というのは
ああいう人間にはなりたくない、そういう面が必ずある。そういうことだ。

だから、たぶん、人間には優劣がある。あることにするのだ、前に進むために。
でも、優劣の基準は自分で決めるべきだ。

社会的なポジションや収入は無関係ではないが一部でしかない。
だから、私が感じた違和感をあえてこう言おう。
競争と蹴落としあいなんて馬鹿だなー、と。
学閥の人たちは頭はいいけど人格はものすごく幼稚だ。
社会的な上下競争って、それ自体がもう奴隷の競争、て思える。
ご褒美をチラつかされて奔走するのか?
ご褒美が限られてきたら紛争するのか?
そういう人生を誇ることができるのだろうか?

以上、前置きが長くなったがルイ=フェルディナン=セリーヌの「夜の果てへの旅」という 小説がある。その紹介が奮っている。
「かつて人間の口から放たれた最も激烈な、最も忍び難い叫び」
私の手元の文庫版は若き日の私による線引きだらけなのだが、
読み返すとまあ、世界に対する罵詈雑言、特に既得権益に対する悪態の尽きようといえば
まあ見事としか言いようのない迫力である。
作家自身の人生もまた面白く喧伝されてもいある。なにせ、国家と宗教を攻撃しまくったので、死亡時に司祭に埋葬を拒否される、というエピソードがよく知られているようだ。
そういうぶっとんで誠実ともいえる作品と人物に若き日の私は惹きつけられたのだろう。

しかし、だ。
これはいやだ、こいつは嫌いだ、というのはあまり意味がないように今の私には思える。
現実への呪詛なんて、別に当たり前じゃないか。
痛めつけられていない人間なんてひとりもいない。
でもみんな、騒ぎ立てずに生きている。
キアロスタミの映画の登場人物のように、泣いて怒って笑っている。
それでいいじゃないか。

なかなかうまくたどり着かないが、
今日、実は、私は誇りについて話したいのである。
私の友人はそれからよくカモシカに来てくれる。
カモシカを閉めたら少し話し、外でタバコを吸い、ビールを飲む。
笑う。深刻な顔をする。笑う。ビールは7年ぶりらしい。
なんのことはない。
私がいちばん誇りたいのは、全力で挑み、敗れ、そしてまた無意識にも立ち上がろうとし
そしてきっとまた戦い始めるだろう私の友人である。

こうも言えるだろう。
セリーヌは第一級の文学品である。
でも、読むだけじゃだめだ。
読んで終わりは読書ではない。ただの暇つぶしにすぎない。

行動するまでが読書である。
もしセリーヌを読むことがあったら、読後、破り捨ててほしい。
そして、また、カモシカ書店に来て欲しい。

「夜の果てへの旅」

ルイ=フェルディナン=セリーヌ

1,200円(上下セット)

 

 

ー カモシカ書店 ー

古本 新刊 喫茶

 

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月曜日

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1件のフィードバック

  1. 「卵ひとつ盗めば次は牛、そして最後は生みの母親まで手にかけるものさ」母親の躾。アルシイド、モリイへの思い。フェルディナンは根本的に育ちの良さを感じるのに、ロバンソンの死に際「僕には偉大な人間的観念が欠けていた」心というより知識の問題ではないのかと共感していたのです。
    美しさも楽観さも勇敢さも、戦争や時代だけに関係せず、そもそも、若しくは途中で学び損ねた不運なのだと理解します。
    しかし、そんな心理分析もゆるりと考える幸運な時代に生まれたのだと、人の心を好き嫌いを越えたニュートラルで受け止められるよう、高望みして生きていこうかなあ。
    それにしても、読み終えるのにこんなにエネルギーを費やした作品もなかったです。翻訳の手にかかった日本語なのだけれど、登場人物、動物、自然、物、温度、湿度、あらゆる擬人化が生々しくまとわりつき、好ましく見事でした。

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