2014年5月、大分市中央町に誕生したカモシカ書店。
古本を中心としながら新刊も取り扱い、カフェとしても気軽に利用できる癒しの場。
手作りケーキやこだわりのコーヒー、水曜日のネコというフルーティースパイシーな珍しいビールもお楽しみ頂けます。
定期的に本だけに留まらない知的好奇心を刺激するイベントを開催。
そんなカモシカ書店の店主、岩尾晋作くんのコラム第三話です。
オムニバス的に一冊の本を紹介していく人生の短編集。
どうぞ、お楽しみください!
なお、紹介されている本は実際にカモシカ書店で購入することができます。
※すでに売切れや非売品の場合もありますので、ご来店前にカモシカ書店へお問い合わせください。
第三話「マルテ・ラウリス・ブリッゲの手記(マルテの手記)」ライナー・マリア・リルケ
二十代のはじめにフランスに旅行に行った。
ド・ゴールでなく、コート・ダジュールから入国したその旅は、わたしにとって
最初の海外体験だった。
初めて歩く外国の町、ニースはとにかく夜の美しい街であった。
人口もそれほど多くもない地方都市で、(大分市より少ないのではないだろうか)
夜道は密やかに灯り、カップルがゆっくりと歩き、石造りの建物から光が漏れる。
オレンジ色の街灯から靴底が鳴らす石畳、お店の繊細な看板、乗り捨てられた自転車にいたるまで、私にとって琥珀の思い出でそっと包み込みたい愛おしい存在である。
ニースで旧市街の市場に行ったり、モナコによったり、エズ村に登ったりして、アヴィニョンに行き、アルルに行き、TGVでパリに上る。
そういう旅路だったがアジアの田舎者よろしく、終始心が躍っていたのをよく覚えている。
はては、「なぜフランスに生まれなかったのだろう?」などと考える始末だった。
初めてのもの、遠くにあるもの、その二つは大抵美しいもんだ、とシニカルな見方をすれば、まさにその通りで、何に感動していたのか今だによく分からないが、とにかく西洋の街ならなんでも美しいと考えるのはなんだか悔しい。
町並みの美学は、当然西洋だけのものではないのだから、という理由からなのだが、そんなことを考え出すのは30代に入った今だからである。
再び言うが、ニースで旧市街の市場に行ったり、モナコによったり、エズ村に登ったりしてアヴィニョンに行き、アルルに行き、TGVでパリに上る。
そういう旅路だったが、どれも特筆すべきほどに美しいので今ここには書ききれない。
ひとつ選ぶとすればアヴィニョンには絶対に行ったほうがいいと言えるが、本稿には関係のない話である。
最後に訪れたパリだが、ここが実に、つまらない街だった。
いかんせん人が多く、旅行者に溢れ、そこまではまあいいのだが、最悪なのは日本人だらけというところだ。
シャンゼリゼ通りで日本人に、英語で話しかけられるという滑稽な出来事に私の旅情はふっとんでしまった。
(サンジェルマン通りのカフェ・フロールのアジア系のギャルソンに一生懸命フランス語でオーダーしたら、日本人だったという出来事もあった。余談だがカモシカ書店の床の色はこのカフェ・フロールがモデルである。)
なのでパリといえば2,3日の滞在でしかなく、オルセー美術館でどうしてもみたかった。
マネのオランピアぐらいしか感動の思い出はないのだが、しかしあとあと考えるともうちょっと滞在していくべきところはたくさんあったなーと当然悔やまれるのである。
以上前置きが長くなったが、パリといえばさまざまな小説の舞台であるがなかでも私にとって特別な作品がリルケの「マルテの手記」である。
馬鈴薯と貧困と死の匂い、とパリの場末を表現したリルケの情景は言ってみれば上京した若者の代弁なのだが、いやそんなことはどうでもいいのである。
正直に言ってリルケについて語るのは非常につらいものがある。
私にとっては本質的な話なのだが、それはどうしても退屈な話になってしまうのが目に見えているからである。
「マルテの手記」という作品は通読するのにおそらく100回は居眠りを強いられる恐ろしく静寂な小説なのだが、物語のない小説というのが逆に、こんなにも凄まじいものだということを知った初めてにして最高の文学であると私には思われる。
作中から引用すると、
「僕たちは自然なふだんの出来事がいつだっていちばん不思議なものだと考えていた。空をとぶこともすばらしいと思わないし、妖精たちも格別心をひきつけないし、何か別のものに姿を変えて見せるのだってただつまらぬ外形の変化じゃないかと思っていた。」
そういうことだ。
つまり私が今回「マルテの手記」を取り上げ何を伝えたいかというと、ひとことで「感性について」だということになる。
みること、聞くこと、語ること、沈黙すること、その全ての美のモデルとして私にはリルケが存在している。
それがどういうことか私にはわからないので、書ききれない。なので検索に引っかかるように、ではなくリルケによって私がで出会った藝術を羅列することで今回は留まらざるをえない。
私はリルケから、ロダンを知り、クレーを知り、セザンヌを知り、ボードレールを知り、ゲーテを知り、ベートーベンを知り、トルストイを知り、ルー・ザロメを知り、貴婦人と一角獣を知り、バルテュスを知り、ヴァレリーを知り、マラルメを知り、ルドンを知り、ハンマースホイを知り、エゴン・シーレを知り、ユーゲントシュティールを知り、、、お尻お尻お尻、、、、
なんともまとまりがないがこれだけは蛇足しておきたい。
文学や、哲学を、こじらせちゃって、みたいなスラングが流行っているようだがそんなものは感性の成長とは言えない。
「こじらせた」は文学と哲学に隷従した権威主義者の言い訳に過ぎない。
人の感性を借りるから不幸になるのだ。
感性はいつだって自分のものである。
そして己を美しく完成に導くものだ。
ついでに付け足しておこう。
私はコート・ダジュールで地中海の海岸線を見たが(ついでにヌーディストも見たが)
美しい道路である。
そして12年ぶりに帰ってきた故郷の別大国道を通ったとき、そう、あの別大国道ですよ!
まっさきにコート・ダジュールを思い出したのである。
別大国道は、日本のコート・ダジュールだと、向こう30年は言い続けようではないか。
「マルテ・ラウリス・ブリッゲの手記(マルテの手記)」
ライナー・マリア・リルケ
上:3,400円、下:360円
古本 新刊 喫茶
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