2014年5月、大分市中央町に誕生したカモシカ書店。
古本を中心としながら新刊も取り扱い、カフェとしても気軽に利用できる癒しの場。
手作りケーキやこだわりのコーヒー、水曜日のネコというフルーティースパイシーな珍しいビールもお楽しみ頂けます。
定期的に本だけに留まらない知的好奇心を刺激するイベントを開催。
そんなカモシカ書店の店主、岩尾晋作くんのコラム第六話です。
オムニバス的に一冊の本を紹介していく人生の短編集。
どうぞ、お楽しみください!
なお、紹介されている本は実際にカモシカ書店で購入することができます。
※すでに売切れや非売品の場合もありますので、ご来店前にカモシカ書店へお問い合わせください。
第六話「高村光太郎詩集」高村光太郎
昔、渋谷にシネアミューズ EAST&WEST というミニシアターがあった。
私はそのシネアミで人生に深く悩みながら働いていたのだがそれはともかく、シネアミは2スクリーン(2部屋)でそれぞれ120席ほどの東京ではかなり小さな映画館で、ビルの4階にあったのだが、
そのすぐ下にもシネ・ラセットというミニシアターがあった。
また徒歩界隈にBunkamuraルシネマ、アップリンク、シネマライズ、ユーロスペース、シネマヴェーラといったミニシアターがひしめいており、世界的にも映画館が密集していた地域ではないだろうか。
世界中の映像が集まり、それに惹きつけられた人たちが袖触れ合いすれ違う渋谷で過ごした毎日は間違いなく、私の青春そのものである。
そのころ私はシネアミで働きながら、本気で小説家になろうとしていて、24歳で、愚かだった。
何が愚かだったのかはもうよく覚えていないが、今思い返すとなんだか胸が苦しくなるので、
愚かだったことにしてなんらかの考えたくないことをやり過ごそうとしているのかもしれない。
たぶん、こっぱずかしい理想と、なんだかもうよくわからないものを追いかけて、
地球の上で独り相撲していたのである。
ちなみにこのころ出会った人生の先輩たちや、同僚たちは私が最も愛してやまない人たちだ。
憚らずにいうと、心のきれいな人たちである。
映画業界でうまくやり、ステップアップしていきたい人もいれば、まだ腹を決められない人もいて、
そのままシネアミにいながら次の道を模索している人もいた。
先輩たちの年齢は7,8歳ほど年上の人が多くて同僚や後輩たちは大体同じで、あとは20歳前後の大学生もいた。
私はいま、24歳の私から見てちょうど7,8歳年上になったのだが、同級生ぐらいとして
あのころの先輩たちを思うとなお一層彼らを愛せるように思えるのだ。
私は今32歳だが、32歳と24歳の違いは、もう小説を書く気にはならないという点だけで明らかのように圧倒的に可能性を狭めて考えているところである。
実は書く気にはならないというのは嘘で、書いてもいいのだが書くことに特に意味や価値を見出せない、というほうが正直なところだ。
だから可能性を狭めているというのも安直な言い方で、もっと考えると、24歳から32歳までの間に価値を見出せるものを限定させているのかもしれない、と言える。
たぶんだが、人生を楽しむコツは、この辺にあると思う。選択肢を減らすこと、それを充実というのだ。
私はいまここ大分で、カモシカで仕事する日々に手探りで真剣でもうそれだけだ。
24歳の私はきっとまだ宇宙飛行士も目指すことができたし、そのことに、その転調にも価値を見出しただろう。
しかし32歳の私は宇宙飛行士になるのは厳しいし、可能であってもその変貌にかなり大きな自己嫌悪を背負うことだろう。
もちろん変貌自体は悪いことではない。ただ、進んで変貌するにはあまりにもなんというか、スピードを知ってしまっている。
目標に対する意志みたいなもの、そんなスピード感を知ってしまっているのである。
シネアミが閉館することになり、運営会社も解散することになり、先輩たちはほとんど別の業界にちりぢりになってしまった。
ある意味ではなるべくしてなったのかもしれないし、まあ仕方のないことだ。
でも自分より大きな力に振り回されたといえばその通りなのである。
その状況でそれぞれ先輩たちは自分の興味やタイミングと巡り会わせに従い、次の舞台を見つけているのである。
そのことが愛おしいというのでは決してない。
そんなことは私には関係のないことで、好きとか嫌いとかそういう問題ではないからだ。
私が愛おしいのは、同じ業界にいようがいまいが、その後どうなろうがみんなが最大限にシネアミを愛していたという点においてである。
愛の証明は難しい。伝えるしかないからだ。
伝える対象は? そうだね、それは難しいね。
ならば自分が的になればいいのである。
ということをみんな無意識に行っていた。
それをある先輩は「磁場」と表現したし、私は愛として送受したし、別の人は別の言い方をしていただろう。
要するに微笑ましい緊張がわれわれを結びつけていたのだ。
何の話だったか分からなくなりそうだが、私は小説を完成させ小説家にはなれなかった。
別に本当になりたかったかというとそうでもない気がするので、なれなかったとはあまり言いたくない。
ならなかった、と言わせてほしい。
でもこれだけは言っておきたい。
今にも小説にしたいほど、つまりある程度抽象や普遍化を試みて見ず知らずの同士の心に刻み付けてやりたいほど、私はシネアミ時代を重要に思っている。大切にしている。
だからシネアミ時代のために私の小説家志願があったのだろう。
シネアミにいるために。抜群の感受性で、みんなと接することができるように、私は小説を書いていたのかも知れない。
教訓、みたいなくだらないことに落としこみたくはない。
だからこれから言うことは教訓でもなんでもない、美学でもない。
何かというとシネアミである。
シネアミで私は生きるというのは誰かの力になることだと知った。
この人のためなら、何をしてもいい、何でもするだろう。
それが仕事である。幸せな仕事である。
場合によっては危険な思想になる、という誹りは受け付けない。
そんなものはシネアミにはあたわないからである。
つまりいま私はカモシカでシネアミしているのである。
もっとシネアミしてもいい。いまカモシカで人といるときに私のシネアミはまばゆいほど輝く。
うまく言えないがそれは小説を書くよりも価値があるのだ。
以上前置きが長くなったが、私が言いたいのは高村光太郎の詩についてである。
シネアミ時代に私を仏のたなごころのように包み込んでくれたものが光太郎の詩であった。
あまりにも前置きが長かったのでももう紙幅がないと思われる。
実は文字制限のない原稿なので紙幅については嘘なのだが、書くからには何人かには読まれるといいなと思っているのでこれ以上長くなるのは危険である。
引用しよう。いや、やめておこう。これを読んでいる人はすぐにググれる環境にあるからだ。
ググってほしい。光太郎の「牛」という詩を。
「高村光太郎詩集」
高村光太郎
250円
古本 新刊 喫茶
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11:00 – 22:00
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月曜日
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