カモシカと青空 第十七話「ちぐはぐな身体」鷲田清一 by カモシカ書店

2014年5月、大分市中央町に誕生したカモシカ書店
古本を中心としながら新刊も取り扱い、カフェとしても気軽に利用できる癒しの場。
手作りケーキやこだわりのコーヒー、水曜日のネコというフルーティースパイシーな珍しいビールもお楽しみ頂けます。
定期的に本だけに留まらない知的好奇心を刺激するイベントを開催。

そんなカモシカ書店の店主、岩尾晋作くんのコラム第十七話です。
オムニバス的に一冊の本を紹介していく人生の短編集。
どうぞ、お楽しみください!

岩尾晋作くんへのインタビュー記事はこちら。

なお、紹介されている本は実際にカモシカ書店で購入することができます。
※すでに売切れや非売品の場合もありますので、ご来店前にカモシカ書店へお問い合わせください。

 

第十七話「ちぐはぐな身体」鷲田清一

 

大した話題ではないのかもしれないが、本屋としての自分にとって、非常に重要な要素として、大の服好きということがある。他のところにも何回か書いたので、またか、と思ってくれる熱心な読者はまさかいないと思うので何度でも書くが、私は文化服装学院というところで洋裁とデザインと造形を学んだ。

その経験を活かして、カモシカの店づくりはほとんど服飾造形のように行ったつもりである。
それはカモシカの空間のあらゆる面においてそう言えるのだが、いくつかあげてみる。
什器や本棚をDIYするに当たってまず頭の中にあるイメージを簡単にでもデザイン画に落とし込む。
そこからいろんなお店に行ってメジャーでイメージに近い大きさの似たような什器や家具を計測しまくる。そして展開図を書いて、寸法を決め、素材を決め、塗装の有無や色を決める。
これは服作りと同じプロセスである。
そして長さを合わせて、接合部の「しろ」をとり、糸であれネジであれ、繋ぎ止めれば、布地であれ板であれ、平面は立体になるのだ。

このような即物的なこと以外にも、全体の雰囲気や色のバランス、着崩すように全体の雰囲気からの「はずし」、アクセントの差し色、完成の瞬間よりも実際に使用している場面が美しくなるような、用の美。
このような設計思想は明らかに私の服に対する感覚と同じである。
嫌いなことを書くことにあまり意味はないし、いつもなるべく好きなこと、大事だと思えることを書きたいと心がけている。
だが比較対象としてあえて書くと空間も服も、「はりぼて感」や「トレース感」があると興ざめする。
内装でいうと、レンガ造りやコンクリート打ちっぱなしのように見せる壁紙、設計士に任せっきりで自分でメンテや微調整のできない照明や什器、経年変化を考慮せずにオープンの日が一番美しいに過ぎないつるつるの塗装。
服でいうとフェイクの素材、効率を優先しすぎているパターンメイキング、リスペクトのないコピーデザイン、意味不明な外国語のロゴ。
などなど。

壁紙やフェイク素材で何か本物のように見せる労力があるなら、そのままの素材で狙いに近い工夫ができないかどうか考えたほうが断然いいはずだ。
要はひとりの人間の変なこだわりが、店づくりにも服にも、他のことにも一貫して現れているだけの話なので、たぶん私は今回どうしても服の話をしたいだけなのだろう。
たぶん心のどこかで、服飾やファッション、布や糸の魅力や、それらが教えてくれること、広げてくれる世界がもっと評価されてもいいのに、と感じているのだ。

私は12歳ぐらいの時、「LEVI’S」のデニムになぜか強い興味を持った。その頃ヴィンテージデニムの大流行が起きていて、古くて状態のいいものなら100万円の値付けがされることもあった。
本もたくさん出ていたのでいろんな本でジーンズのディテールを読み漁った。大分で実物のヴィンテージを見ることは難しかったので、とにかく写真を見て興奮していた。
中学生になり、14歳ぐらいになると大分でもたしか「パブロフ」というお店でヴィンテージレプリカの火付け役「Denime(ドゥニーム)」のジーンズを取り扱っていてよく見に行っていた。
他にも名前は忘れてしまったが、フォーラスの地下のお店でレプリカ系の「シュガーケーン」や「ザ・リアルマッコイズ」を取り扱っていたし、パルコには「エビスジーンズ」があった。

最初はレプリカとコピー商品の違いがわからず偽物とも受け取れるレプリカが好きになれなかったのだが、着用してみると素材やパーツの品質は現行の本家「LEVI’S」よりもレプリカのほうがよいと感じるようになり、レプリカならではの存在意義に気づいていった。
この辺がレプリカという概念を最初に持った出来事だと思うし、もっとあとになって一連の流れを眺めてみると、ブームやトレンドは作られたものであるというマーケティングにも注意を払いながら楽しむようにもなった。

中学3年になるといわゆるモードやハイファッションに憧れを持った。
地方都市大分でもトキハに行けばハイブランドが多少はあり、買えもしないのにいろいろ見に行ったものだ。
トキハだと、ハイブランドとは違うが「Paul Smith」の服に興味を持ち、そこから同じ「Paul Smith」と言えども日本で企画され日本人のための商品ラインと本家イングランドンもコレクションシリーズと、全く違うマーチャンダイジングが行われていることを知った。これは他にも「MARGARET HOWELL」など色んなブランドでも同じことが言える。

高校生になったらメゾンと呼ばれるブランドに興味を持った。
当時は「Louis Vuitton」と「PRADA」の大ブームでギャルと呼ばれる人たちの台頭とも相まって巷を席巻していた。
私はギャルではないしギャルと行動をともにすることはなかったと思うが、ヴィトンはトキハにあったので、高校生でありながらよく見に行き、高校に内緒でバイトをして財布を買ったことは今でも忘れられない妙な思い出だ。

モードでいうと、今は少し移転しているが府内の「correspondance(コレスポンダンス)」と「coeur chapel(コウル チャペル)」が圧巻だった。
「correspondance」では「Keita Maruyama」、「Shinichiro Arakawa」、「Ryuichiro Shimazaki」、「Masaki Matsusihima」など気鋭の日本人デザイナーの服を見ることができたし
(もちろん買うこともできるので、セールを狙って買っていた。たしか福袋もあったはず)
「coeur chapelでは「Martin Margiela」、「number nine」、「Vivienne Westwood」、など雑誌でしか見れないと思っていたグローバルデザイナーが並んでいてドキドキしながら見ていた(たまに買っていた)。

あとはFORUSの1階にドメスティックブランドの先鋭的なお店があって、「20471120」、「Yuji Yamada」、など前衛的なデザインに触れることができた。
(セールに早起きして並んだ思い出がある)

そのようにますます服にはまっていった私は、毎月のように福岡まで行くようになり、岩田屋Zサイドで「A.P.C」や「miumiu」を見たり、路面のセレクトショップ、「ベースメント リール」、
「DICE」などで「HELMUT LANG」、「CHRISTOPHE LEMAIRE」、「Alexander McQUEEN 」、「DRIES VAN NOTEN」、「NEIL BARRETT」、「WIMNEELS」、
「DIRK BIKKEMBERGS」などなど大分では見れない服を見て最高に興奮していた。
「beauty:beast」や「Christopher Nemeth」なども忘れられない服たちである。

当然だと思うが大分の高校生でこういう情熱を持っている人は少なく、とくに、ただでさえ芋臭いと言われやすい上高ではあまり友人とこの話題を共有することはなかったように記憶している。
もちろんおしゃれが好きな上高生は当時から多少はいたと思うが、なんというか私はおしゃれが嫌いではないが、おしゃれよりははっきりと服のほうが好きだったと言える。
そして服を仕事にしたいと思っていたのは上高では少なかったのは間違いないだろう。
要するに孤独だったのだが、私にはファッション誌という友人がいた。
当時私が購読していたのは「SMART」、「Men’s nonnno」、「HF(ハイファッション)」、「流行通信」、「装苑」で服のことはもちろんだが、映画や音楽、文学にもたくさんの道しるべを示してくれていた。

もともと既に映画と文学に魅せられてはいたが、ファッションはまた別腹のように捉えかけていた私にひとつのスタイルとしての可能性をファッション誌は明らかに開かせてくれたと言えるだろう。
ファッション誌や雑誌はコマーシャリズムだけで作られたものでは絶対にないのだ。
雑誌でしか出会えない情報や情熱や繋がりは確かにあり、それは私に人との出会いを連想させてくれる。
そんな孤独な服好きは次第に川久保玲と山本耀司を意識し始める。
この二人は実は私の進路を決めたきっかけで、大学で美術史を専攻し、文化服装学院に行くのは全く同じである。
(余談だが川久保も山本も慶應だが、私は慶應には受験科目数の関係で受かる気がせず、早稲田にするのだが落ちたので法政に行った。この小さな挫折は私の人生の宝物で、いつかまた長々と書きたいと思っていることでもある。ついでに言うと法政大学は素晴らしい大学であった)

ああ。服の話が楽しくてやめられない。本屋なのに。大分で思い切り話してみたいものです。
取り留めもなく続けると、最近はあまり服を見ないのでいつも信頼している作り手の服を着まわしている。
モードというよりはスタンダードなものが飽きずに着れるようになり、自分の好きな雰囲気が持てる素材感をいつも大事にしている。

素材でいうと、リネンが好きだ。真夏で真冬でもリネン100%のシャツを着ている。
リネンはコットンより歴史も古く、本当に丈夫で、傷みやすい襟元、袖口も10年着ても擦り切れない。
それにリネンは品質が分かりやすく、上等なものは肌ざわりやドレープ感ですぐにわかるから、いいものを身に付けたくなるのもまた堪らない。
作り手でいうと「ARTS&SCIENCE」、「garment reproduction of workers」、「ENGENEERED GARMENTS」が特に好きだ。
この3つの作り手は素材、縫製まで世界観が行き届いているし、細部にわたってフェイクがないところがいい。
洗濯などに不利でも、木ボタンは木材、レザーは皮革、貝ボタンは貝殻だ。ボタンホールもステッチではなくきちんとかがり縫い。
袖口はもちろん本切羽。飾りポケットなんてありえない。そういうのが好きだ。

ずっと好きというとやはり「COMME des GARCONS」、「Martin Margiela」は手放せない。
毛玉だらけでも、擦り切れても、メンテしてずっと着続けていたい服がいくつもある。
なぜギャルソンとマルジェラは飽きないのか、そういうことまで論を進めると面白いのだが、今は好きだから好きでいい。
高校生の時にギャルソンとマルジェラを着ることで纏った何かを、今もギャルソンとマルジェラは変わらずに纏わせてくれる。
それはずっと私が憧れていたエーテル体のようなもので、クリエイションというのはやはり魔法の一種で、私の魂を広げて感覚を温めてくれるように思えるのだ。
そういうときはとても幸せで、いい仕事ができる。

ここまで書くと、じゃあなんでお前は今本屋なのかと疑問に思われるのではないかという気がしてきた。
自分のためにも答えておくと私の場合、まず詩があって、それにファッションが融合して、藝術、民藝、工藝、という風に興味が広がっていった。
ファッションは拝金的で商業的で刹那的で、キッチュでヴァニティーな面がある。
わかりやすくそういうきらいがある。
じゃあそれが藝術や工藝や詩や文学にはないのか?
もっと言うと、コマーシャリズムやエゴがなければそのほうがいいのか?
そう単純じゃないから世界は面白いのだ。
藝術も文学も、商業主義とエゴは必ずある。宗教にも哲学にもある。どこまで行ってもそれは同じことなのだ。
じゃあ世界はだめなのか、人生の価値はその程度なのか、あきらめて生きるしかないのか、そういうことなのか?

そういうときに美しいリネンのドレープや繊細な針仕事のことを思う。私が心から満たされるものを思い出す。
それらを纏ってもう一度同じ問いを私は生きていくのだ。
例えばリルケの比喩の多くは布地や刺繍、針仕事や服装からなっていることの理由が、そういう風にして見えてきはしないだろうか?
ファッションという切り口は表面的であるがゆえに深い。
着こなしとはほとんど、その人が毎日をどのように語るかという文体なのだ。
だから私にとって本屋は、きっと服屋以上に服屋なのではないだろうか。

さて、かつてないほど前書きが長くなったが、今回は哲学者の鷲田清一「ちぐはぐな身体」を取り上げようとしてみた。
もう紹介する紙幅がないのだが、ファッションについての本なのだから本の話より私なりのファッションの話をしたくなったのである。
まあせっかくなので「ちぐはぐな身体」から私が忘れられないでいる言葉を抜粋しておこう。
「チラリズムとは、出現と、消滅の、絶え間ない連続である」
あ、これが書いているのは「ちぐはぐな身体」ではなく同じ著者の「モードの迷宮」だったかも知れない。

考えてみると、10代に何に憧れたか、ということがずっと私を引っ張ってくれているような気がする。
憧れた対象が何であれ、どんな種類であれ、真っすぐに強烈に憧れること。
そうすると他人が何かに憧れていることも尊重できるようになるし、その尊重する心が、理解や想像力になっていくのだと思う。

本や服よりもっと直接他人を救うことができる職業や商品はたくさんあって、そういうことを扱える人が羨ましいと思うことは正直あります。

そういう羨ましい気持ちに対して、でも本も服もうんぬん、それなりに役に立ったり救ったりすることがあると反論することはできそうなんだけど、そういうことではなくて、10代の私が理由もなく意味も分からないまま強烈に憧れたもの、それに対して誠実で切実であること。
その態度と生き様だけがきっと誰かを救うことがあるんじゃないかな、と信じてます。

「ちぐはぐな身体」
鷲田清一
648円

 

 

 

ー カモシカ書店 ー

古本 新刊 喫茶

 

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