カモシカと青空 第十話「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」 加藤陽子 by カモシカ書店

2014年5月、大分市中央町に誕生したカモシカ書店
古本を中心としながら新刊も取り扱い、カフェとしても気軽に利用できる癒しの場。
手作りケーキやこだわりのコーヒー、水曜日のネコというフルーティースパイシーな珍しいビールもお楽しみ頂けます。
定期的に本だけに留まらない知的好奇心を刺激するイベントを開催。

そんなカモシカ書店の店主、岩尾晋作くんのコラム第十話です。
オムニバス的に一冊の本を紹介していく人生の短編集。
どうぞ、お楽しみください!

岩尾晋作くんへのインタビュー記事はこちら。

なお、紹介されている本は実際にカモシカ書店で購入することができます。
※すでに売切れや非売品の場合もありますので、ご来店前にカモシカ書店へお問い合わせください。

 

第十話「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」加藤陽子

 

最近没頭して読んだ本の話。
5年程前の小林秀雄賞を取っていて随分売れた本なので今さらながら、と言うしかないがこれはぜひとも紹介したいと思った。

この「それでも日本人は戦争を選んだ」というタイトルは何か過去の戦争の原因を教えてくれるような本だと思わせるが、そう簡単にはわからない。
戦争に至る道はもちろん単純ではないのだから。
だからここ100年の日本の対外的な関係を見つめなおすことによって、もう一度(いや、初めて、か?)歴史を学ぶ。そういう本だ。

歴史とは何か?という問いを立てると私など何もいえなくなってしまう。
私は何も考えずに、歴史とは過去の出来事やその蓄積だと思っていた。
歴史的な、とか歴史になる、というような言い回しは出来事をちょっと大げさに言うようなときに
わりと日常的に使われる言葉だと思う。
それは記憶に残る、という意味の強調と言っていいから、やはり歴史というのは過去のざっくりした記憶とその堆積と考えられる。

じゃあ歴史学や歴史学者と呼ばれる人たちは何をするのだろう。
そういうことを考えたことがなかった。
歴史が過去の出来事とその堆積だとしたら、それを専門的に学ぶということは、より細かく、より高く、ひたすら出来事と堆積を観察するようなことをするのだろうか。
きっとそうではないだろう。もちろん仔細に渡り過去を検分していくことは歴史学にとって必要だとは思う。
でもそんなとんでもなく面倒そうなことをするのはきっと、何か知ること以外の目的があるに違いないと思う。
そのモチベーションは何なのだろう。

何のための歴史か?
私はそれを知ることなく生きていたわけで、歴史のことを半分も知っていなかったと言えるかもしれない。

もちろん過去を知って現在未来に活かすため、というような簡単な予想はすぐにできる。
でも過去の事件を知れば、すぐに役に立つわけではないだろう。
また、過去の事件を「知る」というのはそもそもどういうことなのかわからない。
いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ。
それを把握すれば知ったことになるだろうか。
半分はそうなのかもしれない。しかしなぜ? はまた別の歴史を必要とする。
遡った「なぜ?」もまたさらに別の歴史を必要とするだろう。
そのプロセスの単調さと終わりのなさが私から今までずっと歴史の実態を隠していたように思える。

この本では、歴史とは過去と現在の尽きることのない対話だ、と歴史学者の言葉が引用される。。
対話、というのは少しわかりにくい。
きっと問答、なのではないだろうか。現在が過去に対して問いを発すること。
過去という相手のことをもっと知りたいと思い、切実な問いを立てること。
それに対して過去が発する微かな声、表情、異言語、空気、それらを必死に読み取ろうとすること。
勘違いせず、先入観を慎重に取り除きながら(これだけだってひとつの専門的な技術がいるだろう)、歩み寄ろうとすること。
そういうことだと思う。
そう、歴史とは私にとっての他者なのだ。
いつの間にやら知らずに自分の一部となっていて、自らの根拠付けとなるような、言ってみれば恵まれた家庭の保護者みたいな存在として、歴史を当然の味方、と無意識に考えるのは甘えだろう。
何に対しての甘え? 恐らく歴史が具現化した姿の未来に対しての甘えだと思える。
甘えている場合ではなく今この瞬間から、自分とは違う存在で何をしでかすかわからない他人、でもどうしてもそいつとうまくやっていかなければならない、
そういうアプローチが歴史を知る、ということに近い気がする。

だから歴史を学ぶには人間の能力を最大限に必要とされる。
まず未来を見据えてよりよく生きたいと望むこと。それは次世代に責任を持つことと言えるだろう。
その上で切実な問いを立てること。
そして歴史の発する、ときに煩雑で難解な情報を忍耐強く受け取ること。
情報を立体的に整理して、巨大な時代という空間を構成する。
最終的に善悪という実に微妙な判断を下す勇気がいるだろう。

なんとクリエイティブで果敢な営為なのだろう。
私ひとりでは絶対にできないことが歴史を学ぶ、ということなのだ。

「それでも日本人は」が面白いのは、このエキサイティングで切実な、そしてナイーブな、日本人にとっての戦争というものへのアプローチを追体験できることにある。
答え、があるのではない(著者なりの答えはあるのだがそれは本の本質ではない)。
冒険と勇気があるのだ。
山頂の風景を見せてもらうのではない。
難関ルートの大キレットを横断する執念を見せてくれるのだ。

私は読み始めてから読み終わるまでの数日間、はっきり言ってこの本のことばかり考えて暮らした。

読んでいない本について人は語ることができる。当時の状況と著者の人物像を考慮して憶測することができる。
読んでいない本は、関連付けによって結構言い当てることができるのである。
観ていない映画について語るのは、それよりもずっと難しくなる。製作者のその他の作品と関連付けて語ることはできるが、あまりに心許ない。
映画は視覚と聴覚を持ってそこに立ち会ったかどうかがほとんど全てである。
観ていない映画は、想像や関連付けでは語りえない。
対して、歴史は直接読んだり見たりすることのほうが稀だろう。
基本的に立ち会うことができず、著者も製作者もいない映画。それが歴史に近い。

映画がある。タイトルはない。映像は失われた。音声はもう、届かない。
しかし映画は存在するのだ。
観れない映画を観ること。たしかに観ること。
それが歴史を知り、未来を作るということなのだと私は思った。

「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」
加藤陽子
980円

 

 

ー カモシカ書店 ー

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