MARK DE CLIVE-LOWEスペシャルインタビュー!

別府史上最高に熱い夜となった日。

2019年4月29日。

JAPAN TOURでここ別府に来てくれたMARK DE CLIVE-LOWE。

平成最後の伝説的パーティーの翌日、疲れているにも関わらず、ランチを食べながらのインタビューを快く承諾してくれた。

 

 

—音楽活動を始めたのは?

MARK:4歳からピアノを始めたんだ。最初はクラシック。それからジャズに興味を持ち始めて。

—今はプロデューサーとしての位置を確立していますが、昨日のライブを体感すると改めてミュージシャンなんだなぁと。

MARK:そう。笑。僕がロンドンにいた10年間はアコースティックピアノは全然でシンセとかだけだったんだけど、ロスに移ってからまたピアノを始めたんだ。ロスはソウルよりバンドと一緒にジャズの方が多いからね。

—HERITAGE I&IIのバンドメンバーも個人的に大好物な名前がズラリと。

MARK:HERITAGEはライブで生録音。3日間で全部録音したんだ。ヘリテージのバンドメンバーを呼んでいつか日本でライブしたいね。それとRONIN ARKESTRAっていう日本人ジャズ・プレイヤーを集めたプロジェクトもあって、CRO-MAGNONの(コスガ)ツヨシ、SLEEPWALKERのドラムをやってた藤井(伸昭)、あとWONKのメンバーなんかとEPを先月リリースして。アルバムも10月くらいに。

—MARKはピアニストとして?

MARK:僕はプロデュース、コンポーズ兼ピアノ。ほとんど僕のプロジェクトだけどみんなで作っている感じで面白い。

—HERITAGEは日本的要素の強いアルバムでしたけど、RONIN ARKESTRAは日本人メンバーだけど曲は日本っぽさに固執せず?

MARK:多分ああいう味がちょっとは入ってるかもしれないけど、そういうつもりではやってないね。

—そういった意味でもHERITAGEとRONIN ARKESTRAの比較は面白そうですね!

—大分には府内5番街まちなかジャズっていうジャズフェスがあって、今年で5回目なんですけど毎年200名くらいのジャズプレイヤーたちがストリートに集まるんです。

MARK:すごいね!

—ジャズフェスだと結構人が集まってくれるんですけど、クラブジャズっていうとなかなか。MARKにもぜひ府内5番街まちなかジャズに参加してもらって、本物のクラブジャズを知ってもらうキッカケになれば、、

MARK:あぁいいですね!!去年の今頃かな、神戸のストリートでやっていたジャズステージも凄く良かった。いつでもいいよ!来るから。前夜祭をクラブでやって、ジャズフェスでライブを。笑。

—Bembe Segueもぜひ一緒に!実はBembe Segueも大好きで。MARKと一緒に楽曲をリリースしたThe Politikは「神と神。」みたいな。

MARK:実はね、1998年に始めてロンドンに行った時に、ウェストロンドンのみんなと知り合ったんだ。IG CultureがBembeがまだBembeじゃなく「Kate (Phillips)」として活動していた時に紹介してくれたんだ。彼女だって。笑。先にPHIL ASHERと知り合って、それからPHILと毎日毎日スタジオで演奏していて。アメリカツアーのために僕がPHILをIG Cultureの家まで送ることがあって、その時に始めてIGと出会ったんだ。すぐに意気投合したよ。出会った最初の日にとんでもないゴールデンジャズフュージョンの曲ができたんだ。けど次の日にIGが「昨日の曲に僕の彼女にヴォーカルをお願いして録音したよ。」って言われて。え?せっかくすごい曲ができたのになんで彼女に??って思ったんだけど聴いたら「ヤバい!!」って。笑

—それがBembeとの初めての出会い?

MARK:そう。その5年後にBembeと曲を作り始めたんだよ。

—ロンドンに行った時にはMARKはもうピアニストとして活動していたんですか?

MARK:なんて言えばいいかな。ニュージーランドのコンテストで優勝したご褒美に1年間、世界中まわって好きな場所に行って音楽の研究ができる生活費用をもらえて。サンフランシスコ、キューバ、ロンドン、ニューヨーク、日本も。

—日本にはしばらく住んでいたんですか?

MARK:その時はではないけど、10歳から毎年夏に親戚のところに遊びに来ていて、高校2年生の時に交換留学で1年いたの。だからそんなに長くは住んでないんだけど。で、実はニューヨークに一番行きたかったの。でもあの時、付き合ってた子が1年間イギリスに行っちゃって。だから僕もイギリスを通ろうと。なぜか彼女が一ヶ月前にイギリスに行っちゃって、、すぐ別れたわけ。でもチケット買っちゃってたから仕方なくロンドンに行ったんだ。笑。デイブ インジェストっていうUKのテクノDJがいるんだけど、、7年前くらいに僕の地元オークランドで僕がライブしていたBARにデイブが入ってきて。ちょうど休憩時間でその時は弾いてなかったんだけど。「これお前のRHODES(ピアノ)?」って聞いてきて。「そうだよ。」って応えたら「ロンドン来たら連絡して。」って電話番号もらったわけ。

MARK:ロンドンに着いたはいいけど誰も知り合いがいなかったから、とりあえずデイブに電話したの。それでいきなりロンドンでセッションすることになったんだ。それが僕の初めてのロンドンでのセッション。その次はNATHAN HAINESとも知り合って、GoldieのドラムンベースレーベルMetalheadzのスタジオセッションやって。次にPHIL ASHERと出会ったんだ。どんどんみんなと知り合ってくうちにやっぱりロンドンがいい〜って。1年間の音楽旅行が終わってニュージーランド に帰って、その経験を元に作ったアルバムが「SIX DEGREES」。「SIX DEGREES」は1年間のダイアリーみたいなもの。「SIX DEGREES」が完成したあとイギリスに引っ越したんだ。

—才能ある人同士は惹かれ合うんでしょうね。

MARK:全部、女の子のおかげだけどね。笑

—笑。今はロスで活動されていますが、まさかロスに導かれたのも?

MARK:まぁそんな感じ。笑。ロスはクラブ系よりジャズだからね。ジャズ界のレジェンドたちもいてすごく楽しい。Harvey Masonのバンドと一緒にやった時は弾きながら周りのメンバー見たらHarvey Mason、ベースがMilesともやってたDarryl Jones、パーカッションがBill Summers、2人目のキーボードがPatrice Rushen。それで新人の2人が僕とKamasi Washington。笑

—超豪華な新人メンバー!!笑

MARK:弾きながら「これヤバいって!」ってKamasiと顔を見合わせたよ。本当に凄かった。ロスってそういうことができるんだ。それが一番の魅力かな。

—亡くなった方も含めて最高のジャズメンバーを組めるとしたら誰とセッションしたいですか?

MARK:サックスはWayne Shorter 、ベースはJaco Pastorius、ドラムは音楽によってElvin JonesかHarvey Masonか。トランペットはMilesもいいけど、Marcus Belgraveって知ってる?もう亡くなってるけどすごく味があるんだ。で、Roy Ayersも入れて。ヴォーカルにD’AngeloとQ-Tip。ゲストキーボードにHerbie Hancock。あ、D’Angeloはバッキング・ボーカルね。笑。メインはMinnie Riperton。あとStevie Wonderもバッキング・ボーカル。面白い!!アレンジはCharles Stepney。天国でやりましょう。でも昔の人を「あの人はレジェンドだった。」って言うけど、今のジェネレーションにもレジェンドはいっぱいいる。でも50年後にレジェンドって言われようが言われまいが関係ないよ。今を楽しまないとね。

—2日間、エキサイティングな時間をありがとうございました!ぜひまた大分で最高の音楽を。

MARK:ありがとう!

 

 

最後にMARKへのインタビューの機会を与えてくれたCREOLE CAFE オーナーの松尾俊大くんとその俊大くんにMARKをブッキングしてくれた沖野好洋 (KYOTO JAZZ MASSIVE)さんに最大級の感謝を込めて。

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